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2009年01月31日
『俯瞰法 Part.3』~☆浦上俊司

人間関係で揉めているとする。
人生困難の三本柱‘貧(ひん)・病(びょう)・争(そう)’の争である。
人は自分中心に物事を考えてしまう悲しい生き物だ。
人は相手の幸せよりも自分の幸せを優先してしまう情けない生命体だ。
それでは本当に生き甲斐のある人生を送れない、と魂レベルでは分かっちゃいるが、魂の周りを泥が包み込んでいるがゆえ、自分中心になってしまうのだ。この泥を取り除いていくのが心を磨く修行になるわけだ。
私は凡夫で修行半ば、悟りの境地などへはとんでもなく遠い位置にいるが、心掛けている事はある。
それは、自分の肉体から心を幽体離脱させて相手の肉体へ入って行き、相手の心に入我我入するイメージである。
相手の肉体に入り込めば、相手の眼球になれる。
その眼球で私を見るのだ。
嫌な奴だ。
う~ん、実に嫌な男だ。
相手の肉体に入り込めば、相手の心になれる。
その心で私を感じるのだ。
自分勝手な奴だ。
う~ん、実にわがままなオッサンだ。
そうしてひと通り自分観察を終えてから、私の肉体に私の心を帰還させる。
すると、様々な気付きがあるのだ。
この器用な作業を普通に会話しながら並行してやるのだ。マニアックにだ。
ハードルは高いが、やってみるとなかなか面白いぞよ。マニアックさに笑けるぞよ。
ありがとうございます、感謝。様々な実験を繰り返し、答えを出したいと熱望する俯瞰法。
ありがとうございます、感謝。答えを導き出せれば研修や講演で熱く語れるとのモチベーション発露。
ありがとうございます、感謝。昨日も今日も俯瞰法を使わざるを得ない厳しい環境。
~☆浦上俊司
2009年01月30日
『天丼と笑顔』~☆浦上俊司

天丼が喰いたくなって天婦羅屋に入った。
一人で黙々と喰っていると、店の扉がガラガラと開いて女性が入ってきた。
私は霊能者ではないので、霊感など持ち合わせていない。
もちろん幽霊も見たことないし、45年間‘金縛り’に遭った事もない。
しかし、人が身体の内側から発する波動を敏感にキャッチするのは得意だ。
その人の精神から発散されてくるオーラは、大体正確に私の潜在意識に届けられる。
カウンターで天丼を喰っている私の背中に、妙~に清々しい風が通り過ぎた気がした。
振り返ると、その女性が一人で入ってくるところだったのだが久々に驚いた。
いや、旧知の人に会って驚いたのではない。
独身時代に結婚を誓い合って、結局別れを選ばざるを得なかった彼女に再会したのではない。
全く見ず知らずの女性だ。
しかし、私が驚いたのはこの人の笑顔なのだ。
一人で天婦羅屋に入るのに、そこまでの笑顔はいらんやろ~、というくらい崇高で気品があり、辺りを慈悲の光で照らすような笑顔なのだ。仏教でいう和顔施(わがんせ)だ。
口角上がりまくり、目尻下がりまくりの凄まじい笑顔なのだ。
この笑顔の正確な描写をする筆スキルが欲しい。自分の文章力の限界が腹立たしい。
天丼もそこそこに、私はそれとなくこの人をチラ見で観察した。
ずっと微笑んでいる。
限りなく長時間微笑み続けている。笑顔のキープ時間が長すぎるぞよ。
これ以上続ければ、たまに街で見かける独り言をブツブツ言いながら笑っている奴の領域に入るんちゃうかと思うほど‘危なさ’さえ感じてきた。
もっとも、笑顔の質が全く異なるので危ない奴とは一線を画すが、それでもずっと笑顔なのだ。
こうなると、いつか‘化けの皮’が剥がれるはずだ、とのサディスティックな観察眼が湧いてくる。
化けの皮後の彼女はどんなだろうかとの変な探究心が沸きあがる。
しかし、剥がれなかった。いや、皮を被ってなかった。自然体だった。
この人は、注文をする時も、食事が運ばれきて箸を使う時も、途中でお茶を注がれる時も、お会計の時も、約20分ほどの間、ず~~~~~~っと最高級品質の笑顔を浮かべていた。
何かの理由はあるのだろう。
凄いラッキーな事があった直後なのかも知れない。
数ヶ月ぶりに愛する恋人に逢える直前なのかも知れない。
自分に大きな評価を頂いて自己重要感が満たされた瞬間だったのかも知れない。
何の理由があるにせよ、人間技ではないような笑顔だった。
きっと天が私に、‘こうして四六時中、笑顔を浮かべて生きていくんだよ’とのメッセージを下さらんがために派遣された天使のような人だった。
声無き天の声、姿なき天の姿は現実世界の人を使わせて見せて下さるものだ。
ありがとうございます、感謝。人の笑顔は無限大の癒し効果があるのだとの発見。
ありがとうございます、感謝。自分のしかめっ面を大いに反省させられた笑顔の持ち主。
ありがとうございます、感謝。海老と南瓜が特に美味かった天丼での一人夕食。
~☆浦上俊司
2009年01月29日
『頑張れ!マキタスポーツ』~☆浦上俊司

ブレイクするかどうかは分からんが、エハラマサヒロに勝るとも劣らない芸人がマキタスポーツだ。
彼には目を付けたが、売れるかどうかは不明だ。でも頑張って欲しい。
彼のモノマネ芸は、私を一気に爆笑の泉へと誘(いざな)う勢いを有する。
佐野元春マネも浜省マネもオモロイが、もっとも凄まじい笑いを誘発するのが長渕剛マネの‘上京物語’だ。
そして‘上京物語・続編’ではマジで腸捻転おこすんちゃうかぁ~というくらい笑ける。
これ以上、笑ろたら脳の血管切れてまうんちゃうかぁ~というくらい笑ける。
一見の価値ありだ。
http://jp.youtube.com/watch?v=cS258KOkIl4
http://jp.youtube.com/watch?v=PCYTZhxVJ-0&feature=related
何も難しい事を考えず、脳を空っぽにして大笑いする・・・、小さな幸せを実感する瞬間だ。
人間は怒ったりイライラしてるより、アホになってずっと笑ろてる方がいい!
ありがとうございます、感謝。地道にライブハウスで一部のマニアックなファンに支えられているマキタスポーツ。
ありがとうございます、感謝。一瞬で笑えて何もかも忘れられるお手軽な‘YOU TUBE’の存在。
ありがとうございます、感謝。知らぬ間に1,000アクセスを越えていた‘YOU TUBE’での私の1分間動画。
~☆浦上俊司
2009年01月28日
『身体の変化』~☆浦上俊司

久々に体重計に乗った。
ビックリした。
身長174cmが縮むわけはないが、体重がベストから4kgも減っていた。
数年ぶりに偶然会った人から、「浦上さん、えっらい痩せはりましたなぁ~。顔の輪郭が変わってますやん」と言われた先日があったので、体重計に乗ってみたのだ。
人間には‘考える力’が備わっているが、考え過ぎて‘思考のアリ地獄’から脱出できなくなると食欲中枢に異変をきたす。これが生身の人間の正直なメカニズムである。
胸と肩とケツの筋肉は落としたくないとイメージトレーニングで頑張ってキープしている。
しかし、喰う量が減っているので腹がへこんだ。だから‘思考のアリ地獄’は‘怪我の功名’ではある。
しかし腹筋を鍛えて絞ったわけではないので、単純に風船がしぼんだ感じで、風呂の鏡に映る自らの姿に少々嫌悪感を覚えている。
‘身に起こる出来事は全て良き事で必要な事’と自己暗示をかけているので、不健康に痩せているのかも知れないが良き事と捉えられて、なんとか‘肯定的な錯覚’はキープしている。
ありがとうございます、感謝。メタボで悩む我々世代の中で逆行できる自らの肉体。
ありがとうございます、感謝。やはりダイエットは食べる量と食べる時間なのだとの気付き。(18時くらいに喰ってから12時くらいに寝るまで一切の食材を体内に入れない。もちろん、寝る前には陶陶酒と落花生を多少入れるが)
ありがとうございます、感謝。食欲を司る脳神経の仕組みを学べるきっかけになった思考と身体の密接な関係。
~☆浦上俊司
2009年01月27日
『男の二人鍋』~☆浦上俊司

月一で楽しむ行事がある。
男の二人鍋だ。
大阪の友人と二人で鍋を囲む。
友人と言っても彼は私より5つ年上なので先輩だが、タメ口で付き合える親友だ。
彼も私のような自由業なので、平日の昼間から鍋をつつき、多少のアルコールを入れながらウダウダと夜8時くらいまで過ごす。姫路に帰れば10時半くらいになる。
鍋で過ごす場所は、大阪の思いっきり南の方にある彼が住んでいるマンションだ。
離婚して奥様とお嬢ちゃんと離れて暮らす彼は気ままな一人暮らし、なかなか自由奔放に散らかっておる。
彼は、やたらと料理が上手い。
鍋は食材をほり込むだけだが、その鍋が出来るまでの間、彼は台所に立って前菜作りに精を出す。
その間、私はリビングで昼間のワイドショーなどを見て待っている。
トントントンと小気味いい包丁の音が響く。
ジャァ~ジャァ~とフライパンで食材をいためる軽快な調理音が伝わる。
皿に盛り付けた後、フライパンを洗うジュワジュワジュワァァァ~~という豪快な水を弾く音が空間を揺さぶる。
エプロン姿の後姿が私の視界に入る・・・。
私には経験がないが、いい夫婦の食事前の風景ってこんな感じなんやろなぁ~、と想像の世界だけでルンルン気分に浸る。そうこうしていると、「浦ちゃんできたでぇ~。お待たせ~。」と彼の声がした。
想像の世界を楽しんでいた私がその声で一気に現実引き戻され、‘な、な、な、なんで男なんじゃぁぁぁ~~~ッ!’と心の中で虚しく叫び、「あ、ありがとうございます。頂きま~す」と言って舌鼓を打つ。
凝った前菜は、鍋を待たずともこれだけで充分なほどの味を楽しませる。
中でも一番のお気に入りは、ちくわとシメジだけが食材なのだが、そこにワインやら日本酒やら、なんやかんやと不思議なスパイスをわんさか加えて出来る、名前も付けれないオードブルは絶品中の絶品である。
男同士の会話は様々なジャンルへと発展していく。
仕事のこと、遊びのこと、子供のこと、別れた奥さんのこと、信じる仏教のこと、そして今後の人生後半のこと・・・。
私たちはいよいよ人生折り返し地点に立っている。
‘感謝道を実践する者は必ず人生後半で本当の幸せを掴む’と、このブログで豪語してきた。
信念が現実化を引き寄せるはずだ。
ありがとうございます、感謝。心に傷を抱えながらも正しく清く生きている大阪の親友。
ありがとうございます、感謝。なぜか私が披露宴MCをした友人たちが次々と離婚していくここ数年の不思議現象。(この3月にも更に一組増える・・・)
ありがとうございます、感謝。レシピを盗みたいと画策したくなるほど美味い彼の作る前菜。
~☆浦上俊司
2009年01月26日
『朝青龍ありがとう!鬼神から貰った勇気』~☆浦上俊司

朝青龍が強烈な感動を運んでくれた千秋楽だった。
あの強靭な精神力は、どこを源として湧き上がってくるのだろう。まさに‘生きた鬼神’だ。
場所前は、ほとんどの識者が引退を確実視していたにもかかわらず、その重圧を吹き飛ばして戦い抜いた。
特に鬼神の素晴らしさに感銘を受けたのが、昨日の本割で白鵬に負けた‘過去’をほんの数分間で立て替えた心の強さである。優勝決定戦に向かう頃には、もう‘過去’は忘れ‘今’に対する集中力を沸騰点寸前にまで高めていた。
こうして息をしている間にも、‘今’は凄まじい勢いで‘過去’に変わる。
こうしてブログを書いている間にも、‘未来’は猛スピードでこちらに向かって‘今’に変わる。
そしてそれは目を離した隙に、もう‘過去’に変わってしまう。
「あの頃は良かった」、あるいは反対に「あれを食い止めれば良かった」と過去を振り返るのは愚かだ。
「明日はきっとこうなるぞ!」、そして「来年の今頃までには良くなるぞ!」と未来を空想するのも、実は愚かな事なのかも知れない。
だって明日、この世から卒業し本来の故郷であるあの世に帰還するかも知れないし、来年の今頃も生きているのかどうかは、本当のところ分からないからだ。
やはり、行き着くのは‘今、ここ’をどう生きるかである。
この一瞬一瞬をどれだけ清浄な心で生きるのか、どれだけ人を恨まず憎まず愛他の心で生きるのか、それが天から試されているのだ。
その積み重ねが、人生の荒波を勇敢に乗り越えていく‘徳力’になる。
その積み重ねが、自分を取り巻く融和世界を構成する。
ありがとうございます、感謝。現象と時間軸の相関関係に心をどう合わせるかについて熟考できる‘今’。
ありがとうございます、感謝。どんな環境であれ、どんな空間であれ、私がいる‘ここ’。
ありがとうございます、感謝。‘今・ここ以外に何も存在しない’との生き様を醸し出していた鬼神・朝青龍。
~☆浦上俊司
2009年01月25日
『城下さんご夫婦からの学び』~☆浦上俊司

朝、ふとテレビを点けた。
いつもの予感がした。‘必然の情報’に触れ得るあの予感だ。
潜在意識からのメッセージはいつもハズレない。
素晴らしい番組だった。
気付き満載の番組だった。
自分の小さな器を否が応でも見せつけられる番組だった。
石川県に住む城下由香里さんという女性がいる。
彼女は、生まれつき骨が脆く折れやすい難病で、現在は車椅子の生活だ。そして電動車椅子サッカーの選手でもある。
とにかく彼女は底抜けに明るい。
そして‘元気の権化’のような雰囲気を醸し出し、声もデカい。
豪快な笑顔は周囲を魅了する。
細かい事にはこだわらない性分が表情に刻み込まれている。
二人の子供さんがおり、長男はお母さんからの遺伝で同じ障害を持つが、彼も車椅子サッカーの選手だ。
母として、妻として、サッカー選手としてイキイキと力強く前向きに生きている彼女の姿は、我々健常者にふとよぎる不満や苛立ちやムシャクシャがどれほどちっぽけなものかを教化してくれる。
しかし私が最高に感銘を受けるのが、ご主人の城下健一さんのデカさだ。
いや、声がデカいとか身体がデカいとかではない。心がデカいのだ。
あらゆる事を受け入れ、あらゆる事を許し、あらゆる事を自責で捉える人のように、私の目には届いた。
健一さんと由香里さんはボランティアの場で知り合い、恋に落ちて結婚する。
お二人の結婚式の映像が番組内で流れるのだが、健常者である健一さんが車椅子の由香里さんを優しく押しながらの新郎新婦入場だ。
このシーン、どこかで見た。
そう、15~6年前、私が結婚式のMCを月に5本以上ペースでやっていた頃、障害を持った花嫁さんがいた。
彼女の車椅子には結婚式用に彩られた綺麗な花が荘厳されていた事を思い出す。
あの花嫁さんは今頃、幸せにされているのだろうか?
私が司った1000組を越える夫婦で、幸せになった夫婦と離婚した夫婦の割合はどれくらいになっているのだろうか?
脱線したが、この健一さんが番組内で見せる表情や言葉の数々は私の心の真ん中に響いてきた。
もっとも番組の主役は由香里さんにフォーカスされているので、あくまでも健一さんの露出度は少ないのだが、それでも一言一言が優しくて大きくて‘寛容の精神’に満ち溢れているのだ。
ありのままを、あるがごとく無条件で受け止め、そして大きな愛で妻を包み込んでいる健一さんの姿は神々しささえ感じられた。
いい夫婦関係というのは、きっと‘その人にとってその人だけの最高のギフトとして神が与えたもうた伴侶’だと思える関係なのだろう。由香里さんと健一さんはお互いにそう思っているはずだ。
ありがとうございます、感謝。自分の心の小ささを気付かせてくれた健一さん。
ありがとうございます、感謝。自分の心の冷たさを気付かせてくれた由香里さん。
ありがとうございます、感謝。こんな自分でもこれからの新しい人生に夢馳せれる感謝道がある事。
~☆浦上俊司
2009年01月24日
『同級生の妹さん』~☆浦上俊司

高校時代‘なんちゃってヤンキー’だった17歳の私。
半分大人のセブンティーンズマップを描きながら、横浜銀蝿の『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』を聴きながら、毎朝鏡の前でリーゼントを20~30分かけてセットしていた幼き私だ。
45歳の今、既に立てる前髪は消滅したが、当時はポマードとヘアスプレーでガチガチに固めて、今から思えば臭っい匂いを周囲に振りまきながら自転車通学していた私。
なんで、そこまでガニマタに広げるのん~?というくらいイキがって自転車をこいでいた幼き私には、ワルぶった仲間が沢山いた。
みんな学生ズボンがおもっきり太かった。
みんな学生服の裏地にこだわりを持って刺繍を入れていた。
みんな眉毛を丁寧に細く加工していた。
みんないい奴だった。
その私のグループとは違う別のグループにいた同級生、彼は今では姫路市内に美容室を経営する立派なオーナーだ。
高校時代も、もちろん卒業後も話した事はほとんどなかったが、同じヤンキーオーラを身に纏う彼の存在はハッキリ記憶していた。
その彼の妹さんが昨日の神戸新聞に載っていたらしい。
近所の友人が切抜きを持ってきてくれた。
今から20年ほど前、妹さんは高校生の時に白血病を発症し、1989年3月に若干20歳の若さでお亡くなりになったという。彼女が闘病中、恋人だった男性とやり取りをした約500通の手紙が『永遠の愛を誓って』というベストセラー本に。
心を引かれたのは同級生が経営する美容室の名前だ。
妹さんの事をいつまでも覚えていてほしいとの願いから「シスターゴールデンヘアー」とつけたそうだ。
妹思いの優しいお兄ちゃんの一面を垣間見たと同時に、同じ学び舎にいて同じヤンキーオーラを漂わせていた彼が、こんな大きな試練を抱えて生きていたとは知らなかった。
ありがとうございます、感謝。30年弱のタイムスリップで彷彿とする同級生の面影。(鋭い目付きで綺麗に仕上げたリーゼントが印象的な彼だった)
ありがとうございます、感謝。天国からお兄さんの美容室をバックアップしているのであろう妹さん。
ありがとうございます、感謝。彼の美容室に一度顔を出そうかと思ったが、やっぱりオッサンは床屋でないと気恥ずかしいとの気付き。(やっぱり行きつけの床屋で‘今日も一枚刈りに仕上げてやぁ~。ほんで顔も当たっといて~’と気さくに言える店に行ってしまう)
~☆浦上俊司
2009年01月22日
『マラソンのようなもの』~☆浦上俊司

私はマラソンの経験は無いが、自らの日常に起こる事象と照らし合わせて思惟すると面白い。
42.195kmを戦う2時間余り、肉体的にも精神的にも様々な波がランナーに押し寄せるのだろう。
心肺機能が悲鳴を上げて限界の壁にブチ当たり、精神が朦朧とし危うい境界線を越えそうになる、そんな時間が潮の流れのように押したり引いたりするのではなかろうか。
私の声帯については以前に書いたが、一日研修(10時~17時)になると、声のいい状態がずっと続くわけではない。
それはマラソンだからだ。
90分講演のような短距離走なら、最初から飛ばしても最後まで充分持つ。
しかし、一日研修だとペース配分を考えないといけない。
午前中2時間は良く伸びる。
納得のいく声が出る。
腹の底からググッと会場の一番後ろまで響いているのが分かる。
しかし昼食後の13時~14時が急にガクッときて、いつも声が嗄れてくるのだ。
ここに質問話法の事例を入れているので少々辛い。質問話法の事例は一人四役の芝居風に語るので、私にとっては座布団こそ無いが、この時間は高座なのだ。
ここで最高潮のピークを持って行きたいのだが、肝心な所で声が苦しくなる。高座を務めながら心のどこかで‘助けて~’と叫んでいる。
ところが、15時ごろからラストまでは一気に盛り返し、驚くほど声が伸びる。
この時間はマラソンで言う‘ランナーズ・ハイ’になっているのではないかと思惟するのだ。
私の場合は‘トーキング・ハイ’であるが、きっと研修後半は私の脳からβエンドルフィンが噴射されているのだろう。
ありがとうございます、感謝。一日研修を一生涯と捉え、声を運気と捉える事で見えてくる何か。
ありがとうございます、感謝。一生涯はいい時期もあれば、ヤケクソになりそうな辛い時期もあるのだとの思惟。
ありがとうございます、感謝。諦めずリタイアせず、感謝のもと42・195kmを走り続けられている現状。
~☆浦上俊司
2009年01月21日
『‘お任せ’とは』~☆浦上俊司

久々の営業マン研修だった。
公開コースなので、業種業界は様々多岐に亘る。
どの業界の方でも私の言葉がきっかけになって、斬新な営業スタイルに開眼して頂く様を見るのは嬉しいものだ。
今年から私の中で起こる小さな変化は、「一切を天にお任せする境涯」を目指している点だ。
受講生の反応が良くても悪くても、それはあくまでも‘自分という小さな秤’で判断している事であって、‘天という大きな秤’で見れば私にとって全て必要な事である。
自分でこれは嫌、これはいい、と判断しているうちは天の大きな慈悲は分からないまま生涯を終えてしまうような気がする。
天は長い目で見守って下さっているし、天は私の過去も未来も全てお見通しだ。いや、過去世も来世もご存知かも知れない。
だから‘一切お任せ’ができれば、とても楽なのだ。
しかし、それは‘努力を何もせず、ただ流れに任せる’というネガティブな姿勢ではない。
人間としての精進努力は惜しまず全身全霊で取り組む。しかし結果は問わない。それが‘お任せ’だ。
だから‘一切お任せ=無気力で待つ姿勢’とは決して違うのだ。
昔の偉人はこれを「人事を尽くして天命を待つ」と言った。
ありがとうございます、感謝。受講生の反応に左右されず自分の信念で喋れた今日。
ありがとうございます、感謝。結果の一切を委ねられる絶対安心の神仏の存在。(示さるる事象の全ては天の采配である)
ありがとうございます、感謝。営業マンの仕事も目標数字を‘一切お任せの境涯’に立てれば自然達成できるはずだ。
~☆浦上俊司
2009年01月20日
『エハラマサヒロ』~☆浦上俊司

私がブレイクすると予想して応援してきた芸人が売れていく姿を見るのは嬉しくて堪らん。
私も芸人の端くれであるから、彼らが不安定の中で頑張ってる姿に大いに共感し刺激を受ける。
オリラジも藤崎マーケットもエド・はるみも売れていった。唯一、中山功太だけが今ひとつパッとせん。
そんな中、今年2009年中に大ブレイクしそうなのがエハラマサヒロだ。
スピリチュアルの江原さんではないぞよ。
モノマネもできて、喋くりもできて、歌も上手い可能性を感じさせる芸人だ。
‘塾のウザイ先生ネタ’など、死ぬかと思うほど笑えた。
私が現役合格大学に入学金を収めず、関学受験再チャレンジのために通った神戸の予備校にも似たタイプの先生がいた。19歳の私を思い出させてくれるエハラのネタだ。
不安定の中で生きてる奴は大好きだ。
将来が見えない世界でも、自分の好きな仕事で喰っている奴は大好きだ。
固定給が振ってくるサラリーマンの世界にはない‘覚悟’というオーラを身に纏(まと)っている奴は大好きだ。
ありがとうございます、感謝。他に類を見ない芸風で一斉風靡するかも知れないエハラマサヒロ。
ありがとうございます、感謝。エハラを見ると彷彿とさせる天才芸人‘グッサン’の存在。(エハラは山口智充二世だ)
ありがとうございます、感謝。今日も明日も必死で生きてる不安定な世界の住人たち。(一緒に頑張って稼ごうぜ!)
~☆浦上俊司
2009年01月19日
ホントに不景気なの?:☆高橋宗照☆

2009年が始まって早くも1月も中旬になってしまいました。
新聞やサイトを読んでも、あまり景気のよい話は聞きませんねぇ・・・
「100年に1度の大不況!」などの文字が、どの紙面や画面にも1日1回は
必ず目に飛び込んで来ます。
最近ではあまりにもネガティブな言葉が飛び交うので、これじゃぁマーケットそのものが
ネガティブな心理状態になってしまうよなぁ・・・と思ってしまうのです。
さて・・・
先日久しぶりに自由が丘あたりをブラブラしてみましたが、
(実は今から15年くらい前はこのエリアで営業の仕事もしていました)
「え?こんなに人がたくさん歩いていて、ホントに不景気なの??」
とついつい疑ってしまうほどでした。
確かに大きな値段の買い物を、多くの方がしなくなったのは事実ですが
(お金があるなしではなく、これもたぶんにネガティブな心理状態が作用しているような気がします)
やはり地域的な特性のためか、高いものは高い。
しかしそれでもちゃんと売れているんですね。
冷やかしであるペットショップに寄ってみると・・・
「トイプードル(トイプー)の子犬(たぶん生後2ヶ月)・・・600,000円」
え?ろくじゅーまんえんですかぁ??
よくよく説明書きを読むと、この子のお父さんは「アメリカンチャンピオン」らしい・・・
うーむ・・・
ちなみに他の子犬が入っているゲージを見ると、一般のショップで売られている
トイプーのなんと5割増しなんですね。
そしてしっかりそこの札を見ると「売約済」の札が貼ってある。
うーむ・・・
これも2極化なんですかね。
スヤスヤ寝入っている「ろくじゅーまんえん」のトイプーちゃんに、思わず・・・
「セレブぅ」なオーラ(臭い?)
を感じてしまいました。
確かにある場所(エリア、地域、商材)では「不景気」というワードですべてが解決してしまうのかも
しれませんが、それも見方や角度を変えるとどーも違う部分もあるのでは??
と感じてます。
そして・・・もしかしたらそんなところに「一条の勝気」が宿っているような気がしてなりません。
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
投稿者 : 高橋宗照| 20:52
2009年01月18日
『結局のところ‘心’である』~☆浦上俊司

私の内側から私への応援メッセージが届く。
人を悟らせるのも言葉、人を迷わせるのも言葉であるが、私を楽にさせるのも内側からの言葉であることが多い。
これは誰が発しているのだろう?私の潜在意識か、魂か、天からの声なき声に感応道交しているのか。
聞こえてきたのが、「そんなん、大した事ちゃうやん~」である。
世の中を見渡せば、もっともっと苦しんでいる人が沢山いるのだ。
これは重大事、これはえらいこっちゃ、これは道徳上許される事ちゃうでぇ、と神経過敏になって自らを地獄に追い込むのも自分次第。
こんな事、世の中でしょっちゅう行われてる事やん、知らんだけやん、何を目くじら立ててんねん、洗い流したらええやん~と軽い生き方を選択して自らを解き放つのも自分次第。
結局の所、自らの五官識に届く全ては自らの心の投影なのだ。
営業マン研修で‘お客さまは営業マンの心の鏡である’という自分が発していた言葉で自分が説得されていくような気がする今日だ。
ありがとうございます、感謝。苦に追い込むのも自分の心であれば、地獄から救い上げるのも自分の心であるとの気付き。
ありがとうございます、感謝。金また尊し、物また尊し、しかし明るい心でいられる事が幸せの原点であるとの気付き。
ありがとうございます、感謝。私の執着を解き放つ言葉、「そんなん、大した事ちゃうやん~」。
~☆浦上俊司
2009年01月17日
『大学生たちの未来予想図』~☆浦上俊司

今日は大学生向けの就職セミナーだった。
午前午後と2回実施で、都合150名くらいの21~22歳くらいの子たちを見る。明日も同じくらいの入りになるだろう。
この二日間で300名ほどの‘社会人の卵たち’を見て、その若さに羨ましい思いを馳せると共に、これからの人生航路を思う時、大変な棘の道が用意されているであろう未来予想図に痛ましい思いも持った。
この300名ほどの子たちに訪れる幸福の形は沢山あると思う。
この中で何人が素敵な伴侶に巡り会え、幸せな結婚生活を送るだろう?
この中で何人が健康な子供を授かり、慈しみの感情を味わうだろう?
この中で何人が好きな仕事に就け、生き甲斐を持って職業人生を勇ましく送るだろう?
この中で何人が人に支えられる感謝を知り、‘ありがとう、ありがとう、感謝、感謝’で生きていけるだろう?
生きてきて良かったと心底からの喜びに浸れるのは何%くらいか?
しかし不幸の形も、わんさかあると思う。悪魔が口を大きく開けて、‘おいで、おいで’と誘っている。
この中で何人が喪失感を味わい、離婚を経験するだろう?
この中で何人が会社をクビになり、リストラの痛みを味わうだろう?
この中で何人が重病を経験し、生死の境をさまようだろう?
この中で何人が親とのトラブルを経験するだろう?
生きていくのが嫌になる絶望感に支配されるのは何%くらいか?
赤ちゃんが誕生する時、周囲の大人たちは祝福の笑顔を浮かべているが、本人は泣きながら生まれてくる。
絶叫に近い泣き声をあげながらこの世に生を受ける。
あの姿はこれからの人生に立ち向かう‘恐怖の泣き声’のような気がしてきた。
私も45年前、泣きながら叫びながら生まれた。
ありがとうございます、感謝。‘人生は絶望と苦しみの連続である。まずその覚悟が必要だ’との偉人の言葉が潜在意識に届く今日。
ありがとうございます、感謝。多くの大学生に向けて‘少しでも幸福の形が訪れますように’との他に向ける祈りが出来た今日。
ありがとうございます、感謝。土日でも仕事のオファーを下さるクライアントさまとエージェントさん。(暇を持て余せば余計な事ばかり考え込んでしまう今日この頃だ・・・。思考のアリ地獄から開放されたい!)
~☆浦上俊司
2009年01月16日
『絶対帰依の信』~☆浦上俊司

奇跡を信じよう!
自らの人生は決して捨てたものではなく、選ばれてこの世に生を受けたのだから、喜びや感動に満ち溢れる人生が待っているはずだと信じよう!
感謝道の実践者に、これ以上の不幸がやって来るはずがない。
感謝道の実践者だからこそ、乗り越えた後、人に語るために味わった試練なのだ。だからとっても意味があって、とっても価値に溢れていたのだ。
並の男の神経では耐えられないほどの厳しい事象も、感謝の言霊と共に俯瞰すれば和らいでくる。
さらに、天から最高の仏さまのご加護を頂く日々である。
絶対安心の境地に立って、困難に合掌して、一切お任せして、結果を楽しんで生きていけば良いのだ。
そこには素晴らしい人生が展開しないはずがない。
必ず打破できるッ!
必ず頑張った自分を褒めれる日が来るッ!
必ず天の大いなるお力に打ち震える感謝が湧き上がる日常が来るッ!
ネガティブに自らを見返る思考方法は、心がささくれ立つ。ポジティブに笑い飛ばしながら自らを見返るのだ。
そして明るく強く、楽しく豪快に生きていくのが感謝道の真髄なのだ。
先を明るく見よッ!!
ありがとうございます、感謝。いつまでもジメジメするアホらしさに気付きつつある今。
ありがとうございます、感謝。やっと本来の自分を取り戻しつつある今。
ありがとうございます、感謝。研修オファーが集中するまでに完全復活できそうな今。(受講生の前では決して弱音を吐かぬ!これがプロとしての矜持だ)
~☆浦上俊司
2009年01月15日
『過去世だけではない』~☆浦上俊司

今世での苦しみは、過去世で作った悪因縁による所が大きいと思う。
しかし、来世からの悪因縁もその一つだと思えてきた。
いや、今世での明日以降に作る悪因縁もそれに入ると思えてきた。
つまり、過去と現在と未来は点で切れない。全て太い線で繋がっているという事だ。
この思考方法に辿り着くまでは、過去世を問題視していた。
それを浄めるために、残り35年間の修行が続くと思っていた。
もちろん、それは中心軸に据えるが、来世で作る(いや今世での明日から作る)悪因縁を先に今見せて頂いていると思えば、いま目の前の苦しみが違った見え方をしてくるのだ。
消せない過去を見るより、未だ見ぬ未来を見る。
そして、その未来で多くの悪因縁を作ってしまう自分なのだと思惟すれば、いま目の前の苦しみが多少緩和されるのだ。素直に反省できるのだ。納得して懺悔できるのだ。
ありがとうございます、感謝。これから作ってしまうであろう悪因縁をいま見せて頂いている試練。
ありがとうございます、感謝。自分がした事が自分に返ってくるとの宇宙真理を、過去・現在・未来が一本の線で繋がっている観点で見ると理解できる事。(自分は何も悪い事をしてないのに何故?!との忸怩たる思いが緩和される)
ありがとうございます、感謝。過去・現在・未来と一本で繋がる線をイメージすれば、試練に向かう勇猛心が湧いてくる事。
~☆浦上俊司
2009年01月14日
『数えないスキル』~☆浦上俊司

昨日の‘考えないスキル’に続いて、今日は‘数えないスキル’だ。
これを身に付ける事で、心の安寧が得られるのだ。
自らを取り巻く‘苦の元’を数えない。
外的要因であれ、心に救う内的要因であれ、‘苦’に繋がる類は数えないようにしよう。
その分、エネルギー配分を‘幸の元’を数えるようにする。
人から見ると小さな幸せに過ぎないかも知れないが、‘まだまだ恵まれているもの’を数える。‘まだまだ天から見放されていない事’を意識して数える。
心が壊れても、身体は健康をキープしている事。
息子と娘が元気に生きていてくれる事。
取り合えず、食うに困らない蓄えが多少はある事。
男としての自信は根底から崩壊しても、私を必要としてくれる人がいる事。
禿げる一方だが、まだ完全には禿げてない事。
横は白髪だらけだが、まだ真っ白にはなってない事。
寝る前に陶陶酒が飲めて落花生が食える事。
近眼のお陰だろうが、老眼鏡とはまだ無縁な事。
試練のお陰で大幅なダイエットが出来た事。
親の介護とも無縁な事。
親戚縁者で自殺者がいない事。
連日ニュースで見る派遣村とも無縁な事。
暴力団や右翼のオッサンに脅されてない事。
ご縁はないだろうが、街で見かける極細・貧乳・小顔・小ゲツ・色白・童顔・ショートヘア・八重歯・口元のホクロの女性に心トキメク事。(タバコを吸った瞬間に全てが嫌になるが・・・)
毎日のように好き放題ブログで心の吐露が可能な事。
苦しくなればお参りに行ける仏舎が姫路にある事。
・・・キリがない。
恵まれている事に強引に目を向ければ、多少の希望の光が差し込んでくるのが人生の妙味である。
ありがとうございます、感謝。感謝道の原点を忘れそうになると、気付きを与えて下さる感謝道の神様。
ありがとうございます、感謝。基準をどこに置くかで、一瞬心の有体に変化が起こる錯覚。
ありがとうございます、感謝。ややもすると‘苦の元’を数えそうになる心に爽やかな喝ッ!を入れ続ける日常。(油断は禁物だ。意識が緩んだ瞬間に気が付けば苦を数えてしまっている・・・、猛省!)
~☆浦上俊司
2009年01月13日
『考えないスキル』~☆浦上俊司

人の過ちを赦し、それを無条件で受け入れる心の器を作る事が最終ゴールだろう。
しかし凡夫であるがゆえ、いきなり高いゴールを設定すると、そうなれない自分にストレスを感じ、生きていくことさえ辛くなる。
だから、ゴールに至るまでのステップとして‘考えないスキル’を体得しようと思う。
こだわりを捨て切れないうちは、ついつい嫌な方向に思考暴走する。
そして、人を責め、人を恨み、自らの宿命を呪うというネガティブな方向へと進んでしまう。
このままではいけない。何かの意識を持たなければドンドン下がる。
まるで下りのエスカレーターに乗ってしまっているようだ。
百貨店で見かける‘下りのエスカレーターを見たら俄然燃える子供’になろう!
自然に任せていれば下がるので、流れに逆らってでも駆け上がろう!
そのためには‘考えないスキル’がいる。
そして次には‘新しい何かについて考えるスキル’をつける。
そうこうしているうちに時間薬によって、赦せて受け入れられる心が出来てくるのではないだろうか。
もう、考えないようにしよう。
忘れさせてくれる新しい何かや誰かを求めよう。
ありがとうございます、感謝。執着からの脱却について、ほんの少しの入り口に立てた実感。
ありがとうございます、感謝。掴もうともがけば掴めず、思い切って放した時に手に入るのかも知れない真理の一端が見えかけてきた事。
ありがとうございます、感謝。この一ヶ月間の経験が‘心のバランスを維持する知恵’として研修で披露できるであろう近未来。
~☆浦上俊司
2009年01月12日
『捨てる神と拾う神 Part.2』~☆浦上俊司

人生を「一冊の問題集」だと仮設しよう。
オギャーと生まれた瞬間が1ページ目で、この世を去る瞬間がラストページだ。80ページとしようか。
次に生まれる時は問題集の表紙も変わっているし、ページ数も異なるし、もちろん問題の難易度も変化する。
年齢を重ねるごとに‘解く力’が付くが、‘解く力’のスキルアップに連れて問題の難易度は上がる。。
1ページ目は足し算と引き算だったのが、10ページ目くらいで一次方程式や円周率などになってくる。
20ページ目くらいになると因数分解や三平方の定理、30ページ目を越えるとサイン・コサイン・タンジェントだ。(数学を習った微かな記憶を辿っているので単元の前後は知らぬ。なんせ年齢と共に難しい問題にチャレンジせなアカンという事だ)
今まで順調に解いてきた私の問題集は45ページ目で超ド級の試練に遭遇し、ペンを持つ力さえ失いかけた。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、見ず知らずの方の言霊で非常に癒されている。
仕事仲間がくれたメールの文面も嬉しかったが、魂ごと浄化してくれるような温かで穏やかで、大きくて深くて肯定的で素晴らしい言霊が昨日から届く。
人生まだまだ捨てたもんじゃない!と実感するのだ。
ありがとうございます、感謝。私を救ってくれるまだ見ぬ方。
ありがとうございます、感謝。人生は様々なご縁で成り立つのだとの実感。
ありがとうございます、感謝。昨日の満月が運んでくれた気がする素敵な言霊のプレゼント。
~☆浦上俊司
2009年01月11日
『満月が語りかけた朝』~☆浦上俊司

相変わらず夜中の3時か4時には目が覚めてしまう。
私の脳神経は12月中旬から‘長時間眠れない神経’にセッティングされてしまったようだ。
しかし短時間でも熟睡しているのでスッキリはしている。日々の仕事に大きな悪影響はない。声も良く出る。
きっと‘大いなる何かの意志’によって、この生体リズムになっているはずなので、気に病むことはない。
今の私の生活にとって、明け方に目が覚めてしまう事が必然なのだろう。
焦らなくてよい。またいつの日か昼前まで爆睡できる日常がやってくるかも知れない。
ガウンを羽織り、ベランダに出てみた。
あたりは真っ暗な闇で、身体を突き刺すような寒気が身に迫る。
鼻から思いっきり息を吸ってみた。
鼻毛も凍るのではないかと思うような冷気を感じると共に、‘美味しい空気’ってこんな感じなんやなぁ~、と妙に清々しい気分にもなる。
肺に吸い込んだ後、口からフーッと細く長く吐き出した。
私の心の中に巣食う‘人を責める鬼畜のような心’、‘自分が良ければいいと考える利己の心’、‘相手の心を考える優しさのない器の狭い心’、そんなネガティブな諸々が、吐く息と共に身体から抜け出ていくような感覚を抱く。
真っ暗な空を見上げると、今日は綺麗な満月だった。
太陽の燃えるような激しさも大好きな私だが、月の静かな優しさも大好きだ。
満月は、どこも欠けることなく‘完全な円(まる)’だ。
こんな心になりたいッ!
どんな辛い事象を発見してもツルンと丸く流してしまって、どこにも角の無い心になりたいッ!
怒り狂う出来事に遭遇しても穏やかな光を反射させ、人を照らす心になりたいッ!
ウサギさんが餅をつきながら、私に気付きを与えてくれた気がした。
ありがとうございます、感謝。満月から学ぶために、ふと目を覚まさせてくれた‘何かの存在’。
ありがとうございます、感謝。自らは光を発さず反射によってあたりを照らす‘月の存在’。
ありがとうございます、感謝。月のような存在こそが本当の優しさを有した人間なのかなぁ~との気付き。
~☆浦上俊司
2009年01月10日
『本当の愛とは何ぞや?』~☆浦上俊司

神様は人間をこの世に誕生させる時に‘人を愛する’という感情を脳に備え付けた。
最近、この‘人を愛する’というのは何を持ってそれを指すのか、サッパリ分からなくなっている。
男が女を愛する。女が男を愛する。親が子供を愛する。子が親を愛する。師が弟子を愛する。
色々な形があり、それぞれの深さがあり、ジャンルによって質が変わり、愛の表現方法も変わるのだろう。
本当の愛に目覚めたならば、ただ‘与えるだけ’に徹しきれるのだろうか。
まだ‘奪いたい’と思っているうちは、本当の愛ではないのだろうか。
無条件の愛とは何か?
相手に条件を求めているうちは偽善の愛なのか?
お金を渡し、安定した生活を提供するのは本当の愛ではないのか?
何もかもを超越し‘ただ、いとしい存在’。
何があろうとも‘今、ここにいてくれるだけで心を和ませてくれる存在’。
どんな事をしていようとも‘ここに帰ってきて目の前で生きてくれている存在’。
それだけで充分だと思えた時に、本当の愛に目覚めるのだろうか。
私には何かが足りないのかも知れない。
ありがとうございます、感謝。脳の中で‘愛’というワードが駆け巡り、自らに問いかけてくる眠れない夜中。
ありがとうございます、感謝。自問自答により、何かのステップアップに繋がっているような感覚があった眠れない夜中。
ありがとうございます、感謝。12時くらいに寝て3時くらいに目が覚めてしまう眠れない夜中だからこそ観れる深夜番組。(世の中には色々な通販番組があるねんなぁ・・・)
~☆浦上俊司
2009年01月09日
『浄化の涙』~☆浦上俊司

お寺に行った。
ドシャ降りから霙(みぞれ)に変わる立川の夕刻の天気は異常に寒かった。
傘をさしていても、横殴りで霙(みぞれ)が身体に当たる。
天の神様と地の神様のお社の前で、90度の最敬礼によるお参りをする。
心の中のモヤモヤや、どうしても許せない気持ちや、切なくただれるような心を全て吐露した。
過去に対するこだわりを捨て、嫉妬心から開放される大きな心の器を授けて下さいとお祈りした。
神様がしっかり受け止めて下さって、仏さまの元へ私の思いを運んでくれたのだろう、突然体の芯から涙が溢れてきた。
ドシャ降りの霙(みぞれ)に負けない勢いで、涙が次から次へと溢れ出した。
次第に嗚咽に変わっていった。
しゃくりあげるように号泣した。
「うっ、うっ、うっ・・・、ひぃっ、ひぃっ・・・」と噛み殺した声が漏れた。その私の声を霙(みぞれ)の激しい音が打ち消す。
自分の体内にこれほど大量の涙があったのかと驚いた。
大人になってから、ここまで泣いたのは初めてかも知れない。
父が亡くなった時にも、こんなには泣かなかった。
境内にチラホラしか参拝者がいなかったのと、あたりは暗くなっていたのと、傘をさしていたので気付く人は少なかったと思う。しかし肩がワナワナ震えている私の後ろ姿は異様な雰囲気だったろう。
ほんの5分程度の出来事だったかも知れない。
しかし泣き止んだ後、何かの憑き物が落ちたようにスッキリした。
私の魂に何が起こったのだろう?浄化の涙だったのか。
お寺を後にしJR立川駅に着いた時、メガネのレンズに涙の結晶がいくつもの点となってこびり付いているのを見て、なぜか笑けてきた。
ありがとうございます、感謝。これから先の事は一切分からないが、全てを天に‘お任せ’と自然に思えた参拝。
ありがとうございます、感謝。厳しい寒さと身体を打つ霙(みぞれ)の痛みが、私の前世で積んだ業だと思えた天候。
ありがとうございます、感謝。これで私の背後霊から憑き物が振り払われたと信じたい今日。
~☆浦上俊司
2009年01月08日
『捨てる神と拾う神』~☆浦上俊司

喋らないと身体が鈍(なま)る感覚がある。
演台に立って受講生の視線を浴びないと、ジメジメと内側に巣食うトラウマに引き込まれそうになる。
やはり私は好きな仕事をさせて頂いている時が、最も輝けて‘本当の自分らしさ’が表現できるように感じる。
年末年始に悩み過ぎたのも時間があったせいだ。
研修や講演はこの時期は無い。エージェントさんやクライアントさまとの打ち合わせが入る程度だ。
後は‘何かおもろいネタがないかなぁ~’とテキスト作りの為のヒューマンウォッチングに充てるくらいだ。
暗かったトンネルを抜け出すために明日東京へ移動だ。そして久々に多くの受講生の前で喋れる。
壊れてしまった自分を取り戻すためのオファーがある事が実に有り難い。
捨てる神あれば拾う神ありだ。
私を傷付ける人もいれば、私を支えてくれる人もいる。
私を無視する人もいれば、私に温かい気持ちを手向けてくれる人もいる。
仲間の温かい心に触れた嬉しいメールの文面に涙が出た。
「こないだからの浦上さんのブログを見て連絡しようかと思ったのですが、私が出る幕じゃないような気がして、見守ることしかできませんでした。
何があったのか分かりませんが、簡単に‘前向きに頑張って’とは言えないような気がして・・・。
でも、じっと見守っている仲間がいっぱいいます。みんな、浦上さんのこと好きだし、浦上さんの生き方を見ています」
本当にありがとう。
少しの優しさを向けられただけで、乾き切った心に温かい何かが流れ込んでくる。
捨てる神あれば拾う神ありなのだなぁ。
世の大愛に感謝深まる。
ありがとうございます、感謝。ドン底の苦しさを味わうからこそ、少しの優しさに大きく心が揺さぶられる事。
ありがとうございます、感謝。壮絶な辛抱貯金のお陰で、見過ごしがちな幸福を大きな感謝で捉えられる経験。
ありがとうございます、感謝。トラウマ氷解まで何十年かかるのか、ゲーム感覚にさえなってきたここ数日。(開き直らなしゃ~ない)
~☆浦上俊司
2009年01月07日
『写真が運ぶ幸運』~☆浦上俊司

ブログのトップページの写真を変えてみた。前の写真は7月29日に撮影したので5ヶ月ほど掲載した。
何から何まで心機一転したい思いでいたところ、仕事仲間の好青年が名カメラマンぶりを発揮してくれた。
カメラに向かって他愛も無い雑談をしているのだが、研修や講演中のような躍動感を捉えてくれた。
茶色の靴と茶色のベルトの時に掛ける茶色フレームのメガネが‘タージン’そっくりだが、お気に入りのプロマスターもチラ見せできているので、満足のワンショットだ。
これを機会に運命改革したいッ!
ここから因縁切りをしたいッ!
これによって心癖を変えたいッ!
何かを変えることで、何かが変わっていく。
まずは小さな一歩からだ。
ありがとうございます、感謝。辛すぎる2008年7月29日に撮影していた前の写真。
ありがとうございます、感謝。凄まじい幸運と出会いを運んでくれる今の写真。
ありがとうございます、感謝。茶色フレームのメガネと共に大切な黒フレームのメガネ。(靴とベルトが黒の時に着用だ)
~☆浦上俊司
2009年01月06日
『なぜ君は絶望と闘えたのか』~☆浦上俊司

自分の本の売れ行きが気になって書店へ足を運ぶ。
‘営業’の棚に残る在庫を発見し、背表紙を撫で、心の中で‘売れまくってくれて、ありがとうございます、感謝’と呪文を送る。
平積みになってPOPでド派手な宣伝をしてくれる1ヶ月ほどが過ぎ、今は静かにチョコチョコと売れていると出版社の編集長から聞いた。
足が自然に向かうに任せていると、‘話題書’の棚の前に立っていた。
タイトルが強烈だったので、思わず手に取った。
「なぜ君は絶望と闘えたのか」
‘俺も絶望と闘ってるんじゃッ!心の中の大半を占めるこのドス黒い嫉妬心と、全てが崩れていく喪失感との闘い方を教えてくれッ!’と内なる声のシャウトに任せて、まるで救いを求めるかのように買った。
何かスッキリできるヒントを探し求めたい。
咽がカラカラになるような枯渇感から一日も早く開放されたい。
人生やっぱりオモロイなぁ~と本来の私に戻りたい。
そんなモヤモヤから、この本との出会いがあった。
以前このブログでも触れた本村洋さんだ。
結論から言えばスッキリできるような内容とは程遠く、犯人への怒りが倍増する事になるのだが、自分の抱える絶望が、まだまだ小さくレベルの低いものなのだとの実感は得た。
世の中に存在する‘絶望の形’は様々な大きさと深さと種類がある。
私のそれは大したものではないのだ・・・・、と思い込みたい。そう思える心の器が欲しい。
ありがとうございます、感謝。感謝道の原点である‘もっと最悪な状況の仮設’をしてくれた本村さんの本。
ありがとうございます、感謝。絶望感を持つに充分すぎる現場発見の描写。(これに比べたら私の現場発見など大したものではない)
ありがとうございます、感謝。‘君は闘う上で、あくまでも労働と納税をしている社会人たりえなさい’との本村さんの上司の言葉。
~☆浦上俊司
2009年01月05日
本年もよろしくお願い致します

今日から弊社も仕事始めとなりました。
明けましておめでとうございます。昨年も皆様には大変お世話になりました。
ありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。
********************************
昨年からあまり明るくない(明るくなれない)ニュースばかりですが、ふとそれらの
ニュースを正月中に触れていると、こんなことを思ってしまいました。
●米国の次期大統領 オバマ氏の言葉で
“Yes,We can!” “Change”
(もうこれらは訳す必要はありませんね)
●100年に一度(と言われるような)経済不況
●いままでの「常識」が「非常識」になりつつある~これは経済に関わらず、全てのことにおいて
●民族間、宗教間での対立の激化
●多くの物事で“2極化”に急激に進む
などなど・・・
私の勝手な独断と偏見ではありますが、後の10年後・20年後にこの1年を振り返って見ると
歴史の大きな分岐点(ターニングポイント)
の一つに数えられるような「1年」になるのではないか?と思うのです。
もちろん今までだって「変化せねば!」みたいな感覚は多少でも漂ってはいましたが、まさにここに
来て「何となく分かっているんだけどね・・・でもね・・・」みたいな感覚では済まないような時期に来た
のではないか?と感じるんですよね。
とは言っても、私達個人は何をすべきか?
「別に自分一人が何かをやっても変わらねぇよ!」と斜に構えていても、何も始まらないでしょ?
まず
「いま自分でもできること」
「今まで“やらなかったこと”や“やれなかったこと”」
を思い切ってやってみる1年なのではないかなぁ・・・と思うのです。
そこから何かが始まるような気がするんですよね。
決して
「不安だけに焦点を定め悲観的になり過ぎず」
また
「えぇい!何とかなるわい!的な楽観的にもなり過ぎず」
という姿勢が必要なんだろなと思っています。
案外周囲の環境に翻弄(ほんろう)されない「バランス」が要求される1年なのかもしれませんね。
(株式会社タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
投稿者 : 高橋宗照| 20:36
『市役所に集う人の姿』~☆浦上俊司

諸手続きのため、届出書を取りに市役所へ行った。
今日から仕事始めなのか、市役所内は色々な人生を抱える人で、ごった返していた。
身体に重い障害をもって、何かの手続きに来た人がいる。
20代と思われるヤンママが乳飲み子を抱えて、金髪で何かの用紙に書き込んでいる。
ホームレスかと見まごうオッサンが、周囲の人が引いてしまうほどの悪臭を身体から発しながら、手続きのための説明を聞いている。
みんなそれぞれの人生があるのだ。
みんなそれぞれの思いを持って市役所の諸手続きに訪れているのだ。
出産届けや婚姻届といった明るい手続きの人もいれば、人生の幕引きのための暗い手続きの人もいる。
市役所は人生の縮図だ。
ありがとうございます、感謝。私に懇切丁寧に書類の書き方を指南して下さった市役所の方。
ありがとうございます、感謝。私の苦しみはまだまだ浅いと気付かせてくれた様々な手続きをする姿。
ありがとうございます、感謝。仕事が始まった事で少しは気が紛れる日程。(暇があると自らを苦しめる思考方法に陥りがちだ・・・)
~☆浦上俊司
2009年01月04日
『2009年の実験』~☆浦上俊司

‘何でも楽しむ’というのは私の信条のひとつであるが、困難に対する取り組みも‘楽しめる境涯’になれればラッキーだ。
交流分析という心理学では‘過去と相手は変わらない’と教えられる。
では問題解決するためにどうするのかといえば‘過去の意味付けを変える、そして自分を変える’となる。
つまり、過去の事実そのものは消せないが、その事実に対する意味付けをネガティブのまま引きずるのか、あるいはポジティブに変換して‘あれがあったからこそ、大きなきっかけになった’と捉えるのか。この差は大きい。
また問題視する感覚についても、変換する知恵が修得できればラッキーだ。
‘それはメチャメチャ問題やでぇ~ッ!絶対アカン事やでぇ~ッ!’と重大視し自らを苦のドン底に追いやるのか、あるいは‘そんな事、たいした問題ちゃうやん!もう済んだ事やし、これからが大事やん’とこだわりをサッと捨て去るのか。この差は大きい。
全て自分の捉え方ひとつである。
心の持ち方ひとつである。
自分の心が変われば、潜在意識で繋がっている相手も変わる。
‘自分が変われば相手が変わる’という実験を楽しんで過ごす2009年である。しかし結果はあくまでも‘お任せ’である。
自分の思惑通りに進むと思ってはいけない。あくまでも全てが天の意志という‘一切お任せ’の心が大切だ。
ありがとうございます、感謝。楽しい実験の末、このブログで喜びの報告ができるであろう数ヵ月後の未来。
ありがとうございます、感謝。底まで落ちれば反動で浮き上がるバネのような何かが身体の芯に備わった感覚。
ありがとうございます、感謝。気付きを促すために、いつも一緒にいて下さる‘大いなる何か’の存在。
~☆浦上俊司
2009年01月03日
『目に見えない世界では既に変化が始まっている』~☆浦上俊司

私たちの取る行動パターンや心グセは、外的刺激に対して不思議な反応をする。
反応の仕方は人それぞれ千差万別で、‘何か’にそうさせられているような気がする。
まるで無意識レベルで操作されているかのようだ。
私たちは本質的に霊的な存在であり、肉体はあくまでも借り物だ。
しかし借り物でも、この世での修行を全うするための大切な道具だ。
この肉体で取る行動パターン、そして本質を取り巻く心で反応するクセ、これは一体何が舵取りをしているのだろうか。
この‘何か’が、仏教では‘因縁’といい、キリスト教では‘宿命’というのだろう。
この‘何か’を仏教では‘背後霊’と表したり、キリスト教では‘悪魔(悪い事象を引き寄せるという点で)’と表したりするようだ。
仏教では真言を一心にお唱えする事で背後霊を浄め、キリスト教では悪魔祓いの儀式などがある。
肉体の眼しか持たない私たちには、目に見えない宇宙の世界でどのような事が展開されるのか分からないが、何かが変わっていくはずだ。
大地に咲く花は、土の下の根の様子を私たちに見せない。
肉体の眼で見える世界は花の部分であって、目に見えない根の部分にこそ‘何か’が宿っているのだ。
見える花に水をやるのは勿論だが、見えない根に栄養分をしっかり運ぶ事が実はとても大切なのだ。
ありがとうございます、感謝。この世以外の世界で何かの展開が繰り広げられている実感。
ありがとうございます、感謝。最近の私にストレートにガンガン入ってくる仏教による救いの実感。(真言の威力は凄まじい)
ありがとうございます、感謝。2009年は悟りの境地へ1mmでも近付きたいと燃える勇猛心。(絶対安心の境涯を得たいものだ)
~☆浦上俊司
2009年01月02日
『35年なんて・・・』~☆浦上俊司

80歳で死ぬとしようか。後35年間だ。
‘死ぬ’と言うのは、このブログで何度も書いてきたように‘永遠の終わり’ではなく、この世での肉体という着物を脱ぎ捨て、‘本来の故郷であるあの世へ還る卒業’を指す。
この世での課題と真正面から取り組み、学びの学校である地球を卒業し、本来の故郷で来世への課題を再び設定し、また数年後この世へ再訪する。
在学期間が後35年間なら、耐えられそうな気がする。
35年前を振り返ると10歳だった私。
10歳から今まで色々な事があったが、思い出せる事ばかりだし意外と短かった気もする。
同様にこれから先の35年も、ひょっとしたらアッという間なのかも知れぬ。
後35年を‘まだあるのかぁ・・・’と悲観し、思い通りにならない現実にグチ不平不満の心を持ち続けるコース。
あるいは逆に、後35年は‘すぐに過ぎ去るぞ!宇宙の時計で測れば一瞬の時の流れだぞ!’と楽観し、思い通りにならない現実を浄めの修行期間と捉えるコース。
後者のコースを選択し、たった35年しかないこの期間をガムシャラな精進に充てようとの勇猛心を喚起するのが賢者の知恵だろう。
この両者の差は大きい。
時間というのは、心の持ち方次第でいかようにも価値が変わるのだ。
ありがとうございます、感謝。後35年間を短く錯覚する知恵の発露。
ありがとうございます、感謝。ゴールから逆算する目標設定は、営業マン研修だけでなく人生設計にも繋がるとの気付き。
ありがとうございます、感謝。今世での修行期間をくれる私の大切な人。(過去世でエゲツナイ事をしてゴメンね。懺悔行に入らねば!)
~☆浦上俊司
2009年01月01日
『年頭に寄せて』~☆浦上俊司

苦しかった2008年が終焉を告げ、新たな2009年がスタートした。
昨年の12月中旬からの、ただれるような心、切ない心の一切を年明けと共に水に流し、力強く正しく前向きに生きていこう。
今年も沢山の楽しみを自分で設定しているが、その中の一つ、‘自分の心の器がどう変化するか’が大きな楽しみだ。
人の過ちを大きな心で赦し、ニッコリ笑って‘そんな事もあったね!’と「受け入れる心」が欲しい。
人を大きな愛で包み、自分の欲ではなく相手の求めに合わせる「柔軟な器」が欲しい。
心の奥底に巣食う闇のようなトラウマを氷解し、ワンランクアップした「デカイ人間性」が欲しい。
過去は全て過ぎ去った遺物でもうどこにも存在しない、今が良ければ全てOKと納得できる「執着から開放された境涯」が欲しい。
この浄めの修行に取り組むにつれ、私の言葉が変わってくるはずだ。
私は言葉を生業(なりわい)としているのだから、心を磨く修行によって仕事の質も大きくグレードアップしていくに違いない。
営業マン研修が中心に展開していくだろうが、‘数字は心で作るもの’と常々研修で言ってきたごとく、それを身をもって実践証明していく2009年になりそうだ。
物心一如であるから、心を磨けばギャラも鰻上りだ。
ありがとうございます、感謝。深いショックを受けたけど‘天からの覚醒メッセージ’だったと今にして思う12月中旬の出来事。
ありがとうございます、感謝。心の器作りの修行という自分への挑戦が始まる2009年。
ありがとうございます、感謝。私の人生における大きな転換期になりそうな2009年。(どんな結果になっても、全て良き事だけが起こるはずだ)
~☆浦上俊司
