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2007年07月29日

『仲間に支えられる喜び Part.2』~☆浦上俊司

浦上俊司

又もや大切な仲間に支えられる喜びを体感した。

昨日から妙~な首の痛みを感じていた。
凝っているようでいてそうでもない、筋が違えたようでいてそうでもない、打ち身でもない寝違えでもない妙~な鈍痛のような感覚が首に残っていた。

今から思えばこれが前兆だったのだろう、今朝起きた直後だった。
着替えようと、ふとしゃがんだ瞬間に腰に激痛が走った。バキバキッ!と音を立てたようだった。

‘これはいかんッ!’と本能が囁いている。
本能が‘とりあえず動くなッ!’と私に命令してくる。
ゆっくり立ち上がろうと角度を変えると、ビリビリビリッ!感電したように感じた。もっとも私は本当に感電した経験はない。しかしこんな感じだろうと想像に難くない疑似体験だ。

恐々と立ち上がった。ソロリと立ち上がった。
洗面台まで何かを確認するかのような、空気を掴むかのような、夢遊病者のような手の動きでゆっくりと歩いた。

歩ける。
とりあえず何かに掴まらずとも歩ける。
ありがたい。感謝だ。

この感覚は平成5年に味わった感覚と全く一緒である。
当時1歳にも満たない息子をグイッと抱きかかえて、クルリと回してあやした瞬間に腰がペキベキペキッ!ミシミシッ!と不快感を伴った音を立てた。

その瞬間から丸一日24時間、身動きができず寝たきりになった。
痛みでうなされて、冷や汗でベタベタになり、一睡も出来ないまま夜が明けた。
そして翌朝、5cmずつ歩いて車に乗り、整形外科に行って「腰椎分離症」と診断された。

即、その場で痛み止めの注射を背骨を挟んで2本ずつ計4本ブチ込まれた。
さらに‘恥ずかしい格好’をさせられ、めっちゃタイプの極細・貧乳・小顔・小ゲツ・色白・童顔・ショートヘアの看護婦さんに痛み止めの座薬を挿入された。変な気分になってしまって、危うく‘反応’しかけた30歳の私だった。子供には父親の四つんばい姿は見せたくない。

以来、医者が言う‘筋肉のコルセット’を背骨に巻きつけるために腹筋と背筋を毎日鍛えた。

あれから14年が経った。
すっかり自分の腰の病気など忘れ去り、健康への感謝が薄くなり、毎日の腹筋背筋運動も止めていた。

そして今朝だ。

明日から熱海での研修のため、今日の昼から移動だ。
私の仕事は絶対に穴を開けられない。親の死に目にも会えない因果な商売だ。這ってでも新幹線に乗り込む覚悟は出来ている。

アニキ金本の頑張っている姿が脳裏をかすめる。
アニキの左足半月板は、もっと痛いはずだ。

藤波辰巳がヘルニアを抱えながらIWGPのベルトを死守した勇姿も蘇ってきた。
藤波も命懸けで新日本プロレスの屋台骨を支えていた。

しかし、痛い。
ほんまは休みたい・・・との弱気が顔を覗かせる。
タウンページで調べたが、日曜日はどこの病院も休みだ。

連絡を取った。
高校時代の親友に連絡を取った。
彼は現在、接骨鍼灸院の院長である事は以前書いた通りだ。
彼は休みなどお構いなしに、私のために痛み止めとシップとコルセットを用意してくれた。

涙が出るほど嬉しかった。
涙が出るほど痛かったけど、嬉し涙が痛みを洗い流してくれた。

入り口に掲げられた彼と一緒に写る吉田秀彦や古賀稔彦の写真も笑顔で見守ってくれているようだった。(我々格闘技マニアにとっては吉田の生写真など垂涎モノだ)

ありがとうございます、感謝。親友の瞬時の判断で時間経過と共に痛みが緩和されている今。
ありがとうございます、感謝。コルセットを締め付けている安心感で明日の研修も必ず上手くいくとの確信。
ありがとうございます、感謝。新幹線の揺れは腰の痛い人にとっては‘地獄の責め苦’に等しいとの発見。(熱海までの3時間の揺れは完璧な罰ゲームだった)

~☆浦上俊司

投稿者 : 浦上俊司| 2007年07月29日 16:57

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