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2007年06月30日
『姿勢の効用』~☆浦上俊司

元々は猫背だった私だが、今の商売を始めてから姿勢を意識するようになった。
演台に立って喋る時は仙骨に意識を持って行き、クイッ!と伸ばす。
座っている時は、可能な限り椅子に深く腰をかけ、ケツを後ろに突き出すようにして腹を引っ込める。
立っている時は両足に均等に重心をかけ、両足の親指に意識を持って行く。
お陰で健康度がアップしている実感があるし、何と言っても心がシャンッ!とする。
形なき心は形に表れるものだが、形を意識する事で心が後付けとして付いてくる。
出張続きでキャリーバックが欠かせない私は、駅の階段の上り下りでこの姿勢の効用を応用している。
東京の地下鉄は、まるで嫌味のように階段ばかりだ。
上ったと思いきやすぐ下りだ。そして下ったら又上り。
あの構造はいったい誰の発案なのか。身体を鍛えるための設計なのか。はたまた嫌がらせなのか。
大阪の地下鉄のような感覚でいたら、エライ目に遭う。
線が変わるだけで500mくらい歩くのだから。
その地下鉄の階段を上り下りする時に、手と足に意識を持ってくると、ムッチャ重い。
キャリーの重さに引きずられるように疲れがドッと出る。
そこで姿勢の効用なのだ。
つまり手や足を意識せず、仙骨を意識して身体の中心から階段に挑む。
その際、頭のてっぺんからピアノ線で吊り下げられているような感覚になればしめたものだ。重いキャリーが一気にスイッスイッスイッ!と身体ごと上げられる。
ありがとうございます、感謝。身体のコントロールを学ばせてくれるキャリーの重さ。
ありがとうございます、感謝。身体のコントロールを学ばせてくれる東京の地下鉄の階段。
ありがとうございます、感謝。キャリーを持ち上げて自力で歩ける五体満足の肉体。
~☆浦上俊司
2007年06月29日
世界征服:☆高橋宗照☆

昨日まで大阪に行ってました(これからしばらくは大阪に行くことが増えそうです)。
いつも本を買って新幹線に乗り込むのですが、今回買って思わず車内で笑い
ながら読んでしまった本がこれ。
↓
「世界征服は可能か?」岡田斗司夫著
まずはこの何とも子供じみた題名に釣られて買ってしまいました。
本は仕事上必要なのでよく読みますが、半ば活字ジャンキーでもあります。
そして私はなるべく偏らないように、硬軟混ぜて読むようにしています。
そんな私の感覚としてとってもおもしろかった本ですねぇ。
子供のころ、真面目にヒーローものTVを観ながら
「世界征服できたらおもしろいだろうなぁ…」
漠然と思ったことはあります(皆さんも一度はありますよね?)。
しかし・・・
世界征服をして何をしたいの?という目的などなく、
たぶん世界征服をしたら皆が「へへぇ~っ!!」と
土下座なんぞをしてくれて、さぞかし気分がいいんだろうなぁ~程度だったと思います。
(あの水戸黄門的なノリですかね)
そしてその部分をこの本は見事に、非常にコミカルなタッチで、なおかつロジカルに
解説しています。
またある意味では「リーダーシップ」についても考えさせる部分もあり、非常に楽しく
参考になりました。
昔ヒーローものに憧れた方
(例えば仮面ライダーベルトなんぞを装着しながら遊んだことがあるあなた!!)
つい「悪の結社」などという響きに妙に反応してしまう方
なんでいつも「ショッカー」はこんなに弱いんだよ!!とちょっぴり不満に思っていた方など
かなりツボに入りますよ!!
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
(新サイトオープン!!)
タカハシ&パートナーズが営業研修・ヒューマンスキル研修・人材育成をお手伝いします
http://www.t-kensyu.com/
『靴の効用』~☆浦上俊司

靴にはこだわっている。
そんなに高価なものではないが、履くのはジェオックス一辺倒だ。
‘呼吸する靴’の快適さを一度でも味わうと、もう手放せない。世の中には便利なものが溢れている。自分には作れないものを作って下さる技術者に心から感謝だ。
研修会場の名前を聞いた時に、なんとなく潜在意識から嫌な予感が湧き上がっていた。
‘○○研修センター’という類の名前を有する会場は大体そうだが、建物が驚くほど老朽化している。
クロスウェーブの快適さに慣れれば、他の会場はどうも使い勝手が悪く感じてしまう。やはり人間‘贅沢は敵’なのか・・・。
会場に到着すると名前通り、潜在意識のメッセージ通り、スリッパでの入館だった。
会場入り口の靴箱にジェオックスを入れて、ゴム製のベージュ色のスリッパに履き替えて研修実施だ。
二日間の間、常に感じていたのが、踵の痛みである。
スリッパだとここまで気合いが入らないものなのか、との気付きがあったのと同時に、なんせ踵が痛い。
踏ん張りが利かないので声にも力が入らない上に、なんせ踵が痛い。
痛くて堪らん二日間だった。
今日からジェオックスをクリームで磨く手入れに、一層の真心と愛着が加わる事になった。
ありがとうございます、感謝。足元から私に気合いを入れてくれていたジェオックスの有り難味を再確認できた事。
ありがとうございます、感謝。スリッパはコンクリートの硬さと冷たさを踵に直撃するのだとの気付き。
ありがとうございます、感謝。踵の痛さに気を取られていた私の研修でも熱心に受講して下さった素晴らしく素直で元気な方々。
~☆浦上俊司
2007年06月28日
『プチ同窓会』~☆浦上俊司

先日、高校時代の友人に再会してから一気に同窓会企画が持ち上がった。
しかし大人数だと話題が分散して面白くないので、10人までのプチ同窓会にしようと考えた。
もちろんお世話になった担任の先生もお呼びする。
二人で分担して連絡を取ろうと名簿と卒業アルバムをにらめっこした。
そんな中、どうしても会いたい友人が私にはいる。
彼は高校卒業後、現役で京都の大学に進んだ。
関学に行くために一浪した私は、再度の受験失敗の末、京都の大学に進学した。
西宮に住んで青春を謳歌する予定だったが京都に住むことになった。
右京区の下宿が決まり、真っ先に彼に連絡を取って一年ぶりに再会した時、私に言った彼の言葉が嬉しくて今も記憶に残る。
「浦ヤンが京都に来るのん、みんな待ってたんやで~」と。
当時、私の高校から友人たちが5~6人、現役で京都の大学に進学した。
そのうち仲が良かった数人の思いを彼が代表して言ってくれた。
受験勉強に明け暮れて、恋愛も遊びも酒も全て押さえ込み、日焼けも一切していない19歳の青白い私には、1年間‘学生の街’京都で洗練された同級生の姿が眩しかったのを覚えている。オシャレを覚え夜の遊びを経験すると、一気に変身するのがこの時期だ。
そんな彼とも卒業以来は疎遠になってしまい早20年。
連絡を取る唯一の術は実家に連絡をすることしかない。引越しをしていれば万事休すだ。
出張先のホテルから「出てくれッ!」と祈る気持ちでダイヤルした。
「お掛けになったこの番号は現在使われておりません・・・」の機械のような女性の声が聞こえない事だけを祈りながら。
すると、出た。
おそらくお母さんらしき方が出た。
早速趣旨を話した。
私は高校時代の同級生である事、今回20年ぶりにプチ同窓会を姫路でやる事、彼が卒業後入社した会社までは分かるがその後の連絡先を知りたい事、姫路に帰って来る事はあるのか、など。
すると電話口で、お母さんらしき方が一気に警戒されている雰囲気が伝わってきた。
電話口の空気が一変したのが分かった。
このあたりの感覚は訪販時代の経験から私はすぐにピンと来る。
「いやぁ、詳しい事は分からないです!」とピシャリと言われた。
「えっ?○○さんの連絡先はお分かりにならないですか?」とやんわり聞いた私に、お母さんらしき方は、「いや、そのような事はもう結構です!すんません!」とガシャリと電話をお切りになった。
そうなのだ。
私が営業マン時代の癖が抜けないのか、変に流暢な喋くりで話したものだから、お母さんらしき方は‘振り込め詐欺’と勘違いされたようなのだ。
まだまだ発展途上の自分の喋くりを反省。
しかし、なんとか連絡を取りたい。これで負けてはいかん。
ダメ元でパソコンを開いた。ヤフーで彼のフルネームを検索した。
するとヒットした。三件ヒットした。
その中の一件がドンピシャリだった。
彼はその後、京都で会社経営をしていた。
当然のごとく会社の電話番号が分かった。
即ダイヤルを回した。
出た。
出た。
彼が出た。
二言三言喋ったら即、「えッ?!浦ヤン?!め、め、め、めっちゃ久しぶりやん~ッ!」と大学時代と同じノリで返してくれた。
一気に電話で盛り上がり20年ぶりの再会を果たす事になった。
先日来より‘青春の玉手箱’がどんどん開けられていく。
男同士で再会する玉手箱は‘禁断のパンドラの箱’にはならない。
気さくにオッサン同士で楽しい酒になる事だろう。
またひとつ、生きていく楽しみが見つかった。
ありがとうございます、感謝。懐かしき青春時代を共有した京都在住の友人。
ありがとうございます、感謝。彼の名をヒットさせてくれたヤフー検索。
ありがとうございます、感謝。まだまだ喋くりの修行が足りぬと気付かせて頂いたお母さんらしき方の誤解。
~☆浦上俊司
2007年06月26日
『発声の極意』~☆浦上俊司

話芸をもっともっと磨きたいとの思いは日々募る。
話型をもっともっと調整したいとの思いは日々募る。
‘メラービアンの法則’によれば、人が人に何かを伝える時に「内容」は7%しか伝わらず、「声」が38%、「表情・態度」が55%の割合で人の印象に刻まれるという。
と言う事は私が必死でネタを繰って考えた講演の「内容」は大した記憶には残らず、38+55の93%もの圧倒的要素としては、私がどんな声で、どんな表情で、どんな立ち居振る舞いで、どんな姿勢で、どんな身振り手振りで講演したかという「外的要素」になるわけだ。
なんか淋しいような気もするが、なんとなく納得もできる。
確かに私が修行のために聴きにいく講演を例にとってみてもそうだ。
今までで一番感動した松居一代さんの講演も、今となっては「内容」をほとんど記憶していない。
しかし隆一くんのアトピーと闘うくだりになると、「鬼神」のような迫力ある表情で私の心を鷲掴みにした「外的要素」は今も鮮明に刻まれている。
彼女の綺麗な心地良い音域で私の耳に入ってきた声も、いまだに目を閉じれば私の鼓膜を刺激する。
松居さんは動きは取り入れないが、会場内の後方一点を見つめて話続ける吸引力には脱帽したものだ。
大村昆さんしかり、宮川花子さんしかり、鈴木中人さんしかり、感動的な講演は「内容」そのものよりも「外的要素」が心に刻まれるのだ。
おっと、しょーむない講演も同じく「外的要素」が残る。小林正観氏の話した「内容」は途中から意識してシャットアウトしたせいかも知れないが全く記憶にはない。
そんな中、歌を教えていらっしゃる先生と飲む機会があった。
学びのヒント満載の数時間だった。
私のいる「喋くりの世界」も同じだが、先生のいる「歌の世界」では、発声のコツを修得するだけで会場内で聞き入るお客様の反応が180度変わってくるらしい。
先生いわく、「素人は喉で歌うから聴いている人の心に届かないのよ。そして喉で歌うから声をすぐに潰すのよ」と。
そこで私は突っ込んだ。「あっ、やっぱりプロは複式で歌うんですね?」と。
すると先生は、「複式で歌うのは、素人にちょっと毛が生えた程度ね」と。
ほぅ~~!!
プロは腹式呼吸でお腹から声を出すというのが定説だと思っていた私は俄然興味が湧いた。
プロの世界に身を置く人だけが垣間見る事の許される奥の奥の世界に興味津々だ。
そして先生が言った。
「プロはね。本当のプロはね、頭の後ろから声を出すのよ」と。
なんでも、このレベルは五木ひろしや布施明クラスしかできないそうで、頭の後ろにある‘空洞’を使って背中の中にドラム缶を通して、そのドラム缶の中に自分の声を響かせて、そのドラム缶の中に充満した自分の声を空洞から一気に前に飛ばすそうだ。
なんのこっちゃサッパリ分からん・・・。
しかしプロの奥の奥の世界が厳然と存在する事だけはイメージが出来た。
50歳までにはそのレベルに到達したいなぁ。あと7年間の修行だ。
そして50歳から65歳の15年間は、奥の奥の世界を意識して喋れるようになりたいなぁ。
そして65歳から75歳の10年間は、一言一言がビンビン伝わり、魂を打ち震わす講演家になりたいなぁ。
そして75歳から80歳の5年間は、弟子を取って後継者を作りたいなぁ。
ありがとうございます、感謝。極みの世界の入り口まで案内してくれた歌の先生。
ありがとうございます、感謝。自らの仕事の目標が又新たに大きなゴールに設定できた事。
ありがとうございます、感謝。自分の背中にドラム缶を作るべく突貫工事が始めれた事。
~☆浦上俊司
2007年06月24日
『ボディメイクイメージ』~☆浦上俊司

偏った食生活の割には、174センチ69キロで大した変動がないのはこだわりのサプリメントのお陰もあるだろうが、飲み喰いする際のイメージと心で発する言葉を大切にしているからだと思う。
私が気を付けているのは口に物を入れる時に、「えらいこっちゃ、これ食べたら又痩せるわぁ~」のイメージと言葉だ。
時には「えらいこっちゃ、これ食べたら又脂肪が燃焼しきって、ええ身体になるわぁ~」も取り入れるし、「えらいこっちゃ、これ食べたら又腹が締まって肩と胸の筋肉だけは落ちひんわぁ~」もあるし、「えらいこっちゃ、これ食べたら又ケツのラインがプリッ!と上がるわぁ~」も多用する。
よく飲食店で聞こえてくる女性の声で「えらいこっちゃ、これ食べたら又太るわぁ~」を逆手にとって考えて実験に入った。
これが意外と効果絶大である。
たかが言葉、されど言葉。本当に言葉の底力を実感する毎日だ。言葉は心の向きを定める道具なり。
もちろんビールを飲む時も、「えらいこっちゃ、これ飲んだら又爽快な朝が迎えられるわぁ~」だし、焼酎を飲む時も「えらいこっちゃ、これ飲んだら又脳の血管内の血栓を溶かしてくれて健康になるわぁ~」である。
‘イメージ’によって自己暗示をかけて、‘言葉’によってその気にさせてしまう。
自分のボディを創る舵取りは自分の心が決める。
自分の人生の羅針盤は信念であり、力強く航海するエンジンは心である。
ありがとうございます、感謝。今朝も「えらいこっちゃ、又痩せるわぁ~」と呟きながら腹一杯飯を喰えた事。
ありがとうございます、感謝。昨夜も「えらいこっちゃ、又健康にええわぁ~」と呟きながらクラクラするまで飲めた事。
ありがとうございます、感謝。舵取りに敏感に反応してくれる身体の隅々の細胞。(その割には一向に毛が生えてこーへんなぁ・・・。毛根細胞には聞こえてないのか・・・淋、淋、淋)
~☆浦上俊司
2007年06月23日
友達親子:☆高橋 宗照☆

先週仕事の関係で三重県に出張してきました。
(久しぶりに三重県に行きました!!)
そしてその仕事が終わった後、せっかくだから・・・とちょっと足を伸ばして伊勢神社に参拝してきました。
また違う雰囲気で歴史を非常に感じさせる神社でしたねぇ。
次回は是非ゆっくり行ってみたいと思っています。
(伊勢神社(外宮)の前で)
さて・・・ここのところ感じること。
最近「友達親子」という言葉を聞きます。
実は私は非常にこの言葉が嫌いです。
確かに仲のいい親子という表現で使われている節もあるのですが、私は
親子であるなら、やはり一線を引くべきだと思っています。
親は子供にとって「友達」ではなくやはりどこまで行っても「親」なのです。
(自然の摂理として・・・)いずれ子供より早くこの世を去る親。
その間に子供に教え伝えることは何か?出来る限り「親」として出来ることは
何か?などを損得抜きで考え、そしてそれらを子供にやってあげたいと思うのが親。
まぁこれは「友達」というスタンスではないですよねぇ・・・
そんなのを当然だろ!と思う親も多いのですが、この「友達親子」という言葉がよくないのは、
これを聞いて「勘違いするアホな子供」がいるからです。
「友達=なれなれしい=親と子にある一線を引けない」子供になるような気がしています。
だから親(大人)に敬意を払うことすらできない子供が増えるんですよ。
残念ながら「友達」は飯を食わせてくれないし、自分のこと以上に「子供」のことを心配してくれない。
当たり前だが、きちんとそこから教えるべきだよね!と最近感じています。
そしてこのアホな子供たち(ある意味では利口???)
「自分の都合がいいときは”友達”で都合が悪い時は”子供”になる」のがまた良くない。
親の顔を見ても挨拶すらできない子供
親や大人が自分にしてくれるのが当然で、それを当たり前の「権利」だと錯覚する子供
親のやったことに「感謝」の念すら覚えない子供
これは私も含めすべての大人の責任ですよね。
固いことかもしれないが、私はそこを大事にしています。
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
タカハシ&パートナーズが営業研修・ヒューマンスキル研修・人材育成をお手伝いします
(新サイトオープン!!「営業強化.com」)
(追伸)
先日学校の先生らしい人と子供(小学生5~6年生)の会話を聞いて、愕然としましたね。
先生を呼び捨てで呼んでいるんですから・・・
教育改革法の改正をしたようですが、まずはこういうところがスタートじゃないですかねぇ・・・
ちなみにうちは子供が私を名前で呼ぼうものなら、がっつり叱ります。
『好きこそものの上手なれ』~☆浦上俊司

仕事の中に高いモチベーションを見い出すには‘好きになったもん勝ち’だ。
「好きこそものの上手なれ」と言うが、好きという感情がヤル気を突き動かす原動力である事は間違いない。
好きな事をやる時は誰しも‘時間が無い’といった言い訳はせず、ただガムシャラになれるものだ。
ところが仕事を好きになれといっても、簡単にそうなれないから多くの人が仕事で苦労するわけだ。
一日の大半の時間を仕事で過ごすのが社会人なのだから、その時間が好きになれないと辛いだろう。人生の楽しみを半分失った事になる。
しかし、「好き」という感情は「自然発生的」に湧き上がるだけではないと思うのだ。
「好き」という感情は「努力によって到達する」側面もあると思うのだ。
私は経験した事がないが、「お見合い結婚」は相手のいい所を見ようとするから結婚生活が上手くいく例が多いと聞く。
これなどは「自然発生的な好き」ではなく「好きになる努力をした結果の好き」なのではないか。
一方、恋愛結婚は「自然発生的な好き」が高じて結婚生活に突入する。
その結果、「努力しないから好きという感情がフェードアウトしていく」のではないか。
まるで、下りのエスカレータに乗っているようなものだ。
何もしなかったら下っていくが、デパートで見かける元気な子供のように、下りのエスカレータを見ると俄然燃えて、駆け上る努力が必要なのだ。
仕事も同じである。
就職した時は自然発生的に、好きな会社や好きな職種だったかもしれない。
その後、努力して好きにならなければ、人間には‘飽きる’感情が備わっているから、下りのエスカレータに気が付くと乗ってしまっているのだ。
仕事の中の‘好きになれそうな部分’を器用に見つけて、器用に好きになれる能力、これこそが自らの仕事をハッピーに彩り、モチベーションを枯渇させないスキルである。
合言葉は「好きになるこっちゃなぁ~」だ。
ありがとうございます、感謝。自然発生的に好きになれる仕事に就けている幸運。
ありがとうございます、感謝。下りのエスカレータに気付いた瞬間に、駆け上がろうと子供のように湧き上がるモチベーション。
ありがとうございます、感謝。モチベーションアップ研修の新ネタのヒントが見つかった事。
~☆浦上俊司
2007年06月22日
『モザイク』~☆浦上俊司

神戸ハーバーランドのモザイクではないぞよ。鬼才:勝目梓の「モザイク」だ。
先日は白川道によって‘男と女の愛はこんなにも美しいものなのかと感銘を受けた’と書いたばかりだが、今回は勝目梓によって‘男と女の愛はこんなにもエロいもの’なのかと嬉しくなった。
性欲が人間を突き動かすパワーとなり得る事は誰しも否定できないだろう。
決して目をつぶるのが賢者の選択ではない。本心と向き合って、そこから豊かに生きていく
ヒントに繋げていくのがその選択だ。
勝目の描く究極のエロスの世界が、これでもかッ!これでもかッ!と各ページで展開していく。
しかし単なる低俗な‘エロ小説’ではなく、透明感に満ちた描写の波状攻撃を繰り返しながら、えげつないほどのエロい表現が想像を逞しくさせてくれる。
人の趣味趣向って、ここまで多岐に亘るのかとの再発見でもあった。
さらに、全文を通して主人公‘周二’の1人称で綴られるので、大爆笑する単語が続出するのだ。感情移入して読む事も手伝ってか、なんせ大爆笑続きだった。
私はエロスと笑いの境界線は実に薄い壁一枚で隔たれているだけなのだと確信した。
エロスは笑いに通じ、笑う際の生理活性はエロスそのものだ。
大爆笑の時は間違いなく血圧が上がり、脈拍数が上昇し、呼吸が早くなり、身体中の細胞がイキイキと躍動している。そして時には涙が流れる。全く持って共通するのだ。
ありがとうございます、感謝。勝目梓のお陰で新幹線車中で独りニンマリしながら過ごせた事。
ありがとうございます、感謝。しばらくは勝目梓のエロスとバイオレンスの世界に浸ってみようとの読書観が形成された事。(勝目作品を2~3冊は続けて読んでみよう)
ありがとうございます、感謝。御年75歳であそこまでの過激な文章が書ける勝目梓の文魂。
~☆浦上俊司
2007年06月21日
『プチ・カミングアウト~☆浦上俊司』

このブログを開設して2年以上経つが、今まで一切触れてこなかった私の配偶者について。
毎日見て下さっている読者の方からは‘浦上さんは、てっきり息子さんと娘さんの3人暮らしやと思てましたわぁ’との声が多いので今日はプチ・カミングアウトだ。
前世からの繋がりで配偶者と巡り会うのが宇宙真理だ。
前世でも配偶者だった二人が今回の人生でも夫婦となって、前回の人生以上に助け合って支え合って励まし合って夫婦を全うしていく愛に満ちた関係もあるだろう。
また、前世では敵(かたき)同士の関係で、お互いに傷付け合って憎しみ合って罵り合って、その結果学べなかったものを今回の人生で再度修行するために敢えて夫婦になる関係もあるだろう。
色々な巡り会わせがあるが、いずれにしても「前回の人生でやり残した課題に再挑戦するために夫婦になる」のが宇宙真理だと私は確信している。
私は今回の人生で二人の子供に恵まれた。現在、中三の息子と小五の娘だ。
子供は生まれる前に‘あの世’で両親になるべき男と女を選ぶ。
魂の状態で必死に考えて、両親となるべき最適な人物を選ぶ。
物質社会の視点では「子は親を選べない」が常識だが、精神世界では「子は生まれて育つべき環境を選択するため、両親を選ぶ」のが真理だ。
自らの課題挑戦に最適な環境を設定するための男と女を近付けようと、子供になる魂はあの手この手でチャンスを与える。
‘早く出会え、早く出会え’と偶然を装った必然のドラマを手がける。
恋に落ちて早くエッチをして僕達を誕生させてくれと、声なき声でメッセージを送る。
つまり「赤い糸」と言われるお伽噺は確かに存在するのだ。
私と私の配偶者は全てが正反対だ。今風に言えば‘真逆(マギャク)’というのか。
人生における価値観、子育て観、生活のセンス、服や食べ物の好み、テレビ番組の笑うポイント、家庭と言う空間の作り方、空いた時間の使い方、生活時間帯のリズム・・・・、挙げればキリがない。
私の職業も知らないだろうし、このブログの存在も知らないだろう。
しかし子供は肉体的に私のDNAと配偶者のDNAを均等に引き継ぐ。
いや、分量は均等ではないだろうが確実に両者の何かを身体に宿す。
両者の相性が良ければ良いほどDNAの種類が同じなので、身体の中に引き継いだ時の違和感は少ない。
両者の相性が悪ければ悪いほどDNAの種類は大きく異なり、身体の中に引き継いだ時の振り子の振れ幅が大きくなる。
息子と娘は、自らの身体の中で大きな振れ幅の振り子を設定し、器を大きく作りたいと願って今回の人生を訪問したのだと思う。
多種のDNAをブレンドし、静と動、正と負、激と穏、聖と邪、を同時に取り入れる事で心の器は大きく完成するのだ。
共にあの世へ帰還した時に楽しい反省会が開かれる。
そして次回の人生では、お互いがどんな課題を設定して、どんな関係で生まれるかのミーティングが行なわれる。
それを思うとウキウキワクワクしてくるのだ。
喜んで生き、喜んで死ねる境涯を得るコツがここにある。
ありがとうございます、感謝。生まれ変わりの壮大な宇宙ドラマを楽しめる毎日。
ありがとうございます、感謝。生まれ変わりの壮大な宇宙ドラマをイメージすれば日常の小さな不満が消えてしまう心の不思議。
ありがとうございます、感謝。いくつもの組み合わせパターンの中で今回の環境を設定してくれた息子と娘。
~☆浦上俊司
『字は人格を表す』~☆浦上俊司

‘字は人格を表す’というらしい。
人格を表すとまでは素直に共感できかねるが、その時の心の状態は間違いなく表すような気がする。
勉強については一切うるさく言わなかった母は、「字だけはきれいなほうが将来得するから」と言って私に硬筆を習わせた。小学低学年の頃は硬筆塾に毎週通っていた記憶がある。
天性のものが足りないのか、天性のものが邪魔するのか、結局のところ硬筆は大した進歩もせず成人になってしまった。
今は紙に文字を書くよりもパソコンで打ち込むほうが多いし、研修中ホワイトボードに書くよりもパワーポイントのスライドショーで映すほうが多いので、硬筆が頻繁に活躍する機会は少ない。
しかし、そんな中でもホワイトボードに書く事は皆無ではない。
そして私の心のあり方が、ホワイトボード上の字に見事に出てしまっているのが自分でもよく分かる。
受講生の方が積極的で前向きな参加姿勢の時は、私の字も綺麗な線を描いている。
その反対の時は、私の字は捻くれたような稚拙な字になっている。
ホワイトボードに綺麗な字を書くのは確かに難しい。半身で書くからだ。
特に私は受講生にお尻を向けるのに抵抗があるので、半身になる。
字を書きながらも、左の視界は常に受講生の動きを捉えておきたい。
その結果、字がどんどん右肩上がりになる。
真っ直ぐなつもりなのだが、半身で書くと鰻登りで右肩上がりだ。景気がええのはありがたいが、文字を見る立場からすると首を傾けないといけないので、すこぶる見にくい。
そんな時、師匠がアドバスをくれた。
「浦上、ホワイトボードに‘見えない横線’を引け。そしてその横線を意識しながら書け」と。
さすが師匠のアドバイスはいつもながら分かりやすい。
そして的確だ。
そして余計な事は言わない。
そしてベストタイミングで下さる。
欲しい時に欲しいタイミングで師匠はいつも私を導いてくれる。
師匠の字は達筆だ。
いや、達筆すぎて判読できない時もある。
我々凡夫には読めない行間があるのかも知れぬ。
師匠の世界は深い。
ありがとうございます、感謝。今一度、字を書く楽しみを見い出すきっかけを得れた事。
ありがとうございます、感謝。今日もホワイトボードに横線を意識できる事。
ありがとうございます、感謝。骨折しても松葉杖をついて二日間研修をやってのける師匠の講師魂。(早く完治して下さいませ。御身体安穏祈願!!)
~☆浦上俊司
2007年06月19日
『岡部とかほる』~☆浦上俊司

白川道(シラカワ・トオル)の「終着駅」。
読み応えがあった。
641ページの長編にグイグイ引き込まれてしまったここ数日間だった。
岡部の、かほるに向ける心の動きに感情移入してしまい、毎朝起きるのが楽しみだったここ数日間だった。
フラリと立ち寄った本屋で手にしたのは、文庫本の帯が強烈なインパクトを有していたからだ。
作者の直筆で「自分で書きながら不覚にも涙した。自分がとうのむかしに忘れていたもの、失ってしまったものを見出したからだった」と書いてあった。
そこまで言うなら泣いてやろうじゃないかと思い、手に取ってレジへ行った。
任侠物と恋愛物がどのようにブレンドされて小説として成り立っていくのかの興味もあった。
白川道は私を裏切らなかった。
私は読書中に何度も何度も岡部と同じ感情になり、涙を堪えながらの時間が過ぎていった。
女性を愛するという感情とは、こんなにも美しいものなのかと感服しながらの読書だった。
我々オジサンがはまる恋愛物である渡辺淳一の世界とは異なる無骨さが行間にひしめいていた。場面転換のスピード感溢れる妙にグイグイ引き込まれていった。
ふと、無性に恋愛がしたくなっている自分に気付いた。
ありがとうございます、感謝。最後まで透明感と清潔感と聡明感に包まれていたかほる。
ありがとうございます、感謝。最後まで男気と正義と律儀に包まれていた岡部。
ありがとうございます、感謝。二人を紙の上で誕生させた白川道。
~☆浦上俊司
2007年06月18日
島田紳助:☆高橋宗照☆

あまり(というより最近はほとんど)TVを観ていません。
家に戻る時間が遅いということもありますが、自分にとっておもしろい!と思えるTVが少ないのも
あります。
そのため、最近の芸能人などの話題には特に疎いんですね。
そんな中で芸人さんで好きなのが「島田紳助」さん。
唯一観るTV「行列のできる法律相談」での彼のトークをいつも期待して観ています。
そんなことを思いながら、手にした本がこれ。
↓
「ご飯を大盛にするオバチャンの店は必ず繁盛する」(幻冬舎新書) ![]()
ここで関心したのは、常に自分への挑戦をしているスタンス。
芸能人が経営する店も最近では増えてきたが、彼の経営センスはかなり群を抜いていると
思いますね。そして人材育成についても「伸介流人材育成」がかなり満載されていました。
確かに、芸能人だし資産ウン十億円などと言われているけれど、私は彼のビジネスに対する
ピュアさ(=自分が楽しい!おもろいやろうなぁ~!と思ったことをとことんやり抜く姿勢)には
ある意味感動すら覚えたんです。
これから人の上に立とうとする方
これから起業をしようと思っている方
などにはお勧めの1冊だと思いますよ。割合読みやすいので、1日で読めます。
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
営業研修、人材育成、ヒューマンスキル研修専用・新サイトオープン!!
「営業強化.com」
『嬉しい便り』~☆浦上俊司

講演を企画してくれたエージェントさんから嬉しいメールを頂いた。
「本日、クライアント様より連絡がありました。セミナー参加者の方が急にヤル気を出して、本日早速に成約を出したとの事でした。是非、浦上さんに伝えて欲しい旨ありました」と。
思い返すに、自己評価では若干の消化不良だった講演会だったのだが、受取り手のレベルが高かったのだろう、即実践して頂き即効果が表れた事に感謝だ。
私の講演には難しい理論は一切無い。いや、無いというよりも難しい理論を喋りたくとも私は知らない。
だから講演内容は自身の体験談のみで構成されている。
自分が営業マンとしての成功体験と失敗体験を、例話を用いてお伝えする90分間だ。
後は、聴いて頂いた方がご自分の業種業界にカスタマイズして消化して下さる事に委ねている。
こういう嬉しい便りを頂くと、自分のような人間でも‘多少なりとも人様のお役に立てているのだ’との実感が湧いてくる。
この実感がある限り、職業に対する使命感を枯らすことなく頑張れる。
ありがとうございます、感謝。自己評価は低い講演内容でも高く評価して下さる事で新たな気付きに繋がった事。(自己満足だけの仕事ではいかん)
ありがとうございます、感謝。自分の仕事で人が喜んでくれた実感こそがモチベーションの源泉だとの気付きを得れた事。(自分の為だけなら有限力だが、人の為にと思えば無限力が湧き出るものだ)
ありがとうございます、感謝。即効果を出してくれた受講生と即お礼をくれたクライアント様と即連絡をくれたエージェントさん。
~☆浦上俊司
2007年06月17日
『ドラマのセリフからの学び』~☆浦上俊司

録画していた「夫婦道」を見た。
味わい深い演技で私の心を鷲掴みする武田鉄也が、今回もオモロ過ぎる芝居をしていた。
そして奥様役の、これまた味のある演技ができるベテラン女優、高畑淳子が私の哲学のひとつである‘辛抱貯金・幸福満期’を彷彿とさせるセリフを言ってくれた。
「この子は今まで幸せになるための沢山の貯金をしてきたと思うの。そして、きっと今に凄い利息がついて、大ドンデン返しがくると思うんだ」という感じのセリフだった。
「夫婦道」の脚本家が‘辛抱貯金・幸福満期’をご存知のわけはないが、自分の哲学がテレビを通して聞こえてきた時には大きな喜びを感じた。
きっと、人生の幸せはどこかで辻褄が合うのだ。
きっと、蒔いた種が実を結ばないうちに無くなる事は無いのだ。
きっと、辛抱した事実は大いなる何かが全て受け取って記録してくれているのだ。これは年金記録のように宙に浮いたりしないのだ。
こう考えるだけで、目の前の辛抱に対する大きな価値を見出す事ができる。
目の前の辛抱を乗り越えた後に訪れる幸福に向けて、先を明るく見る事ができる。
私の人生捨てたもんじゃない!と前向きにチャレンジできるようになる。
どんな人のどんな人生にも辛抱がある。
どんな人のどんな人生にも幸福がある。
ありがとうございます、感謝。心に沁み込むセリフを吐いた高畑淳子。
ありがとうございます、感謝。心に沁み込む表情と声の武田鉄也。
ありがとうございます、感謝。ロングラン放送のホームドラマへと発展して欲しい「夫婦道」。
~☆浦上俊司
2007年06月16日
『青春の玉手箱 Part2』~☆浦上俊司

またもや開けてしまった、青春の玉手箱を。
昨年は大学の玉手箱だったが、今回は高校のそれだ。
都合20年以上ぶりの邂逅である。
同級生って不思議だ。
何十年も会ってないにもかかわらず、ものの数十分の時間共有で瞬時にして17歳にタイムスリップできる。
もう目の前は昭和の良き日、セピアカラーのワンシーンが展開する。
ひょんなきっかけだった。
私がブログを書いた後、何気なくインターネットで彼の名を検索した。
今から思えば、まさに潜在意識が私の指先を動かし、彼が経営する鍼灸接骨院のホームページへと導いたのだろう。
元気そうに写る白衣姿の友人の笑顔が懐かしく眩しく微笑ましく、毎週土曜日の放課後に彼の家に仲間が集まって悪さをした光景がリアルに蘇ってきた。半分大人のセブンティーンズマップだ。
青春の玉手箱が私に早く開けろ開けろと訴えてきた。
青春の玉手箱が私に早く中を覗け覗けと訴えてきた。
そしてホームページの掲示板に投稿コメントを打った。
あれよあれよという間にメールで連絡を取り合い、再会の運びとなった。
20年以上を経て見た彼の顔は‘ええ顔’になっていた。
元々ハンサムだった彼の顔には‘ええ仕事’をしてきたからこそ出来上がる‘味わい’が乗っかっていた。
男は仕事で顔を作っていける。女は男で顔を作っていける。
ひと通りの同級生情報を交換したあと、驚いた事があった。
‘今頃どこで何してるんだろう?’とずっと気になっていた私の永遠のマドンナの近況を彼が詳しく知っていたのだ。
なんとマドンナは、彼の中学時代の友人と結婚されたとの事。
世の中って狭いなぁ~、不思議な縁ってあるねんなぁ~、と痛感した。
涙が出るほど嬉しかったのは、マドンナが今も元気で生きていてくれた事。
マドンナが子供さんにも恵まれ、幸せな家庭を築かれていた事。
マドンナの素敵なご両親が健在だった事。
私と少しでもご縁のあった方が穏やかな人生を送ってくれているのを知る事が、こんなにも嬉しいとは想像していなかった。
今日もどこかで、この日本の同じ空気を吸っていると思えるだけで嬉しさが込み上げてきた。
ありがとう、私の永遠のマドンナ。
ありがとうございます、感謝。再会のきっかけとなったホームページを開設していた高校時代の友人。
ありがとうございます、感謝。マドンナの嬉しい近況を知らせてくれた高校時代の友人。
ありがとうございます、感謝。マドンナに会いたい私の思いに対し‘想い出のまま墓場まで持っていけ’と言ってくれた高校時代の友人。
~☆浦上俊司
2007年06月14日
『祈りの形』~☆浦上俊司

毎朝の起床時と毎晩の就寝時には祈っている。
いや、なにも豪華な祭壇に向かって祈ったり、滝に打たれて祈っているわけではない。
一人静かに目を閉じて、胸の前で軽く合掌して瞑想しているだけだ。
ホテルでなら椅子に座って祈る。
仕事場にしている部屋でなら机に向かって祈る。
たまには布団に入って眠りに引きずり込まれる瞬間、つまり潜在意識が開放される瞬間に仰向けになって祈る。
祈りの内容は‘今日一日、大難が小難に、小難が無難に変換されてありがとうございます’という感謝の祈りだったり、‘明日は我が人生最良の日になるだろう’という希望の祈りだったり、‘今日会った多くの受講生に勇気を与えられただろうか?元気をお伝えできただろうか?’という反省の祈りだったり、その内容は多岐に亘る。
しかし最後に行き着くのは、最愛の息子と娘の人生についてだ。
彼らと接する機会は少ないのだが、友人に言わせると「浦ちゃんは子供への愛情が深すぎるわぁ~」と言われるくらい親バカだ。
いや、決して溺愛したり人に自慢したりと言う類の親バカではない。
私はただ、‘事故にも病気にも無縁で、穏やかな心で豊かに今回の人生を送ってほしい’と思うだけだ。
息子と娘が幸せな結婚をしてくれて、温かい家庭を築いてくれたならば、私は安心して今回の人生を終われる。
しかし、この祈りのベクトルは「今の自分」と「自分の子孫」に向いているだけだ。
「自分を誕生させてくれた先祖」に向いていない。
‘ご先祖さまへの感謝’という日本人なら誰もが抱いている信心の種を、漠然と意識はしていたのだが強烈にイメージはしていなかった。
これに気付いてからは、ここ数日間、祈りの意識を「自分から上」に向けている。
顔が分かるのはせいぜい親とその上の祖父母までだが、さらにその上の‘見えない顔’に向かっても、命に命を繋いで下さった感謝の祈りを捧げている。
翌日、妙にスッキリした自分を発見している。
先祖と子孫は住む世界を異にするだけで、潜在意識では完全に繋がっていると実感する。
ありがとうございます、感謝。ご先祖さまが手を差し延べているとしか考えられないような不思議な救いのある毎日。
ありがとうございます、感謝。本来のふるさとである‘あの世’へ還った時、再会できる‘見えない顔’のご先祖さま。
ありがとうございます、感謝。それでも最後は息子と娘への祈りでフィナーレを迎える祈りの時間。
~☆浦上俊司
新サイトオープン:☆高橋宗照☆

やっと新サイト「営業強化.com」がオープンしました!!
構想そのものは年始からあったのですが、つい日々の忙しさにかまけてしまったのが
遅れてしまった原因ですね・・・
まぁ言い訳はともかく。
いつもサイトを作って思うことが、
「作ったことよりも維持継続することが大切なんだよね」といつも心にとめています。
確かにほったらかしても「維持継続」はできますが、サイトは常にブラッシュアップが
必要です。
個人的なサイト(HP)ならまだいいのですが、やはりコーポレートサイトですから
まずは「他人様に観てもらってナンボ」の世界なんですよね。
特に当社のような稼業は日本中、そしてここ東京で腐るほどあります(笑)。
そんな「砂の数」ほどの会社の中から、まったく当社や私とは面識がない他人様に
「ご来店」いただくにはそれなりのことをやらないとダメなんです。
特に営業力が脆弱な当社にとって、このサイトを作るということは「お店つくり」と
同じなんですね。
だからまずは・・・
(注意を引く)→(興味関心を呼び起こす)→(欲求に結びつける)→(記憶させる)→(行動させる)
というAIDMAの法則なんぞを自分でやらないとうまくいきません。
(研修でもこんなことを言っているんですから、自分自身でも出来ないとダメですね)
そしてまず大切なのは(注意を引く)こと。
この部分に6割~7割のパワーをそこにかけることが大切です。
さらにただ単にパワーをかけるだけではなく、効果的に実践することも必要です。
そのためにはスキルやスキームなどと言った「知識」と「経験」がものを言います。
実は起業した当初より、当社ではこのサイト運営には結構力をかけています。
もちろん途中では紆余曲折もありましたが、優秀なウェッブコンサルタントの方の力も借りて
5年経てやっと効果が出てきたかな?・・・というところでしょうか。
そういった意味では、当社でも
ウェブコンサルティングの業務もかなりのノウハウで実践できるようになってきました。
まぁ何にせよ、「継続は力なり」ですね。
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 高橋 宗照)
営業研修・ヒューマンスキル研修で営業力強化!!「営業強化.com」
2007年06月12日
『グッドバイ・コムスン』~☆浦上俊司

講師プロフィールの研修実績企業さまの‘カ行’にコムスンがある。
何年か前、センター長さんや現場のヘルパーさんを対象に100名規模のド派手なモチベーションアップ系の研修をさせて頂いた。
確か研修会場も本社の入っている六本木ヒルズで、厳重なセキュリティを何回もクリアして入った事を記憶している。
私の演台の後ろには東京タワーがそびえ立っていた。
現場で働く方々は使命感に燃え、介護にヤリ甲斐を見い出し、素直で明るく積極的な方が多かった印象だ。
人事の方々も教育に前向きで、幹部の方々も経営に情熱的で、外部の我々に対しても好意的で素晴らしい会社と映った。
しかし、やはり‘ジュリアナ東京’を経営するのと、‘介護ビジネス’は相容れないものだったのか・・・。
そういえば研修中も会場内の四隅に、緑と白のイメージカラーの旗を立てるなどの演出が好きな企業体質だったのを、今ある種の違和感を伴って思い出す。
しかし眼光鋭い折口会長の事だ、今回の‘つまずき’を糧にして不死鳥の如く蘇るだろう。
そんな事を考えながら東京から金沢へ移動すると、‘つまずき’の多い日になった。
ホームで新幹線を待っている時にキャリーバックにつまずいたり、駅弁を買った後のお釣りを受け取る際に立てかけてある新聞につまずいたり、タクシーに乗る時に石コロにつまずいたりした。
言葉なき天は、事実を持って自覚を促す。
天風師のお言葉だ。
今の私に「つまずくなよ!」と大いなる何かが激励と教訓を垂れたもうているような気がした。
ありがとうございます、感謝。大難になっているはずの事象が‘つまずき’という小難に変換された事。
ありがとうございます、感謝。5時半起きは辛かったけど無事に東京~金沢の陸路で次の舞台へと到着できた事。
ありがとうございます、感謝。昔ご縁のあったハロー・コムスン、そしてグッドバイ・コムスン。
~☆浦上俊司
2007年06月09日
『性格変換』~☆浦上俊司

吉村達也という初めて知った作家が書いた「性格変換」。
いつものごとくフラリと立ち寄った本屋で見つけた。
これも感謝道の功徳か。必要なタイミングで必要な本に出合わせてくれる。
「‘目は口ほどに物を言う’ならば‘声は顔ほどに人柄を伝える’」とは私が研修でよく‘プレゼンのコツ’として受講生の方に紹介しているフレーズだが、この小説の中に非常にインパクトがあるフレーズが出てくる。
だから小説はノウハウ本よりも学びの宝庫なのだなぁ。
偉い人が‘こうあるべき’などと書いてあるものよりも、親近感のある登場人物のセリフとして書いてあるセンテンスの方が心に残る濃さが違う。大いなる共感をもって直線的に入ってくる。感情移入できるので記憶に鮮明に刻まれる。
こんなセリフだ。
「人の性格ってのは顔に出るんだ。その反対に、顔が人の性格を作るんだ」
う~ん、なるほどなぁ~。深いなぁ~。
外見である程度の‘あきらめ’が心を支配してしまうと、思い切って性格を変えようとの前向きなチャレンジ意欲が減退するものだ。
さらに、この外見だからこんな性格にならざるを得ないというパターンもある。
私は幼い頃から髪の毛に対するコンプレックスは人一倍だった。
中年になって禿げてしまったが、髪の毛があった頃は異常なクセ毛だった。どうにもまとまりが悪く、セットするのが一苦労だった。
そして高校時代、チリチリのクセ毛をまとめようとオールバックにした。
するとチリチリのオールバックなので、パンチパーマが伸びてリーゼントになったような髪型になった。
その髪形に合わそうとして眉毛を剃った。
その眉毛に合わそうとして鏡に向かってメンチを切った。
そのメンチに合わそうとして肩を揺らしてがに股で歩くようになった。
その歩き方に合わせて「なんちゃってヤンキー」になった。
もし私の髪の毛という外見が異なっていたら性格も異なっていたはずだ。
就職活動の時、森村誠一に憧れてホテルマンになる道も視野に入れた大学4年生だった。
しかし、クセ毛だからホテルマンにはなれないと一人思い込んで断念した。
ホテルマンは真っ直ぐな毛で7:3に分けた清潔感ある髪型でないとなれないと思い込んだ。
もし私の髪の毛という外見が異なっていたら職業も異なっていたはずだ。
生き方が外見に出るものだが、外見によって生き方も決まってくるのだ。
そんな事を考えさせてくれるきっかけになった「性格変換」。
ブログによって主人公が分裂の深みにはまって行くのだが、‘書き言葉と話し言葉が人間は異なり別キャラを演じるものだ’とのくだりは、ネット社会の恐ろしさを突いていたし、ラストシーンのくだりは、背筋が凍る立派なサスペンスだった。
電車の中での読書中、私は人間の心の奥底に巣食う悪魔を垣間見て、思わず車内の乗客を見渡してしまった。
ありがとうございます、感謝。存在を知らなかったが私の中で俄然大きな存在感になった吉村達也。
ありがとうございます、感謝。書き言葉と話し言葉が同じである自分のブログ習性。
ありがとうございます、感謝。ネットの深みにはまりたくてもはまれない自分のアナログ習性。
~☆浦上俊司
2007年06月08日
『内臓とアルコール』

飲み過ぎは厳禁だ。これは社会人としての常識だ。
飲酒運転も厳禁だ。これは人間としての常識だ。
飲み過ぎると翌日の仕事に影響がある。なんせ頭がボ~ッとして、脳が活動を控えてしまう。
私の吐くコメントが、私のこだわる言霊ではなく、ただの進行コメントになってしまうのだ。
だから研修や講演の本番前日は極力アルコールを口にしないように節制してきたが、こう本番が続くと‘飲める日’がなくなる。
そこで、なんとか翌日に影響を残さない飲み方がないものかと自ら人体実験を続けているが、今の時点での結論は、「醒めてから寝る」という事だ。
「酔ったまま寝る」と、肝臓さんが頑張って解毒してくれないようだ。
きっと睡眠中は、内臓さんもみんなお休みになるわけだ。
翌日の影響はアルコールの種類によって異なると思い、色々と試してきたが結局は「醒めてから寝る」のが一番いい。
いや、もっといいのは「量を控える事」だ。
当たり前の結論だが、今日も自己との対話が続く。
禁欲と煩悩の戦いだ。
ありがとうございます、感謝。ゆっくり休めば翌日も又働いてくれる肝臓さん。
ありがとうございます、感謝。睡眠中は休む内臓さんが多い中で24時間365日働き続ける心臓さんと肺臓さん。
ありがとうございます、感謝。存在も場所も機能も意識しないがフル稼働してくれているその他の地味な内臓さん。
~☆浦上俊司
2007年06月07日
『上見て働け、下見て暮らせ』~☆浦上俊司

大好きな武田鉄也が言っていた‘上見て働け、下見て暮らせ’。
彼は年齢とともに‘ええ顔’になっていく。そして年齢とともに含蓄のある言霊を吐く。
ドラマはほとんど見ない私も、毎週木曜日21時の「夫婦道」だけは録画してでも欠かさず見ている。
働く時は上を見ないといけない。
‘もうこのへんでええか~’と安易な妥協をした時から‘現状維持の姿勢’になってしまう。
常に、飽くなき向上心を持って‘現状打破の姿勢’になった時、仕事に対する迫力が出てくるものだ。
下見て働く人は、仕事における創意工夫を無意識のうちにストップしてしまう。
暮らす時は下を見ないといけない。
上を見て暮らすとキリがないからだ。
私達はついつい‘不足しているもの’ばかりを数えて、‘恵まれているもの’を数えようとしない。
今日一日の生活費にも困窮している人の事を思えば、自分はどれほど恵まれ満たされているか。ここに気付けるキーワードが‘下見て暮らせ’である。
思えば、基準をどこに置くかで‘幸せの数値’は決定する。
幸せの分量を他人が推し測るのは愚の骨頂だ。
幸せかどうかは本人の心が決めるのだから。
ありがとうございます、感謝。上見て働ける今日一日。
ありがとうございます、感謝。下見て暮らせる今日一日。
ありがとうございます、感謝。いつもタイムリーに飛び込んでくる武田鉄也の言霊。
~☆浦上俊司
2007年06月06日
『自然治癒力』~☆浦上俊司

神が人間に与えたもう潜在能力のひとつに、「自然治癒力」がある。
病に冒されても、元の健康状態に戻ろうというホメオスタシス(恒常性)だ。
薬を飲んでも最終的には「自然治癒力」が働かなければ完治しない。
つまり、人間には「良くなる力」が元来備わっているのだ。
ただし、この「良くなる力」が発動されるのは、「自然治癒力」の計り知れないパワーに畏怖の念を持ち、「自然治癒力」が与えられている事に敬虔な感謝の念を捧げ、その凄まじい力を疑わず停滞せずただ一筋に信じた時だけだ。
健康状態は何も「肉体的健康」だけを指すのではない。
心が穏やかでストレスから開放された「精神的健康」もあるし、モチベーション高く取り組めるやるべき仕事がある「社会的健康」もあるし、家族が事故にも遭わず病にも倒れずといった「家庭的健康」もあるし、豊かな生活を営める「経済的健康」もある。
この5つの健康に全てパワーを発揮するのが「自然治癒力」だと私は信じている。
もしも今、病に冒されていても、いつかきっと完治し元の健康状態に戻れる。
もしも今、心が追い詰められていても、いつかきっと心が楽になり元の健康状態に戻れる。
もしも今、やりたい仕事でなくても、いつかきっと天職と思える仕事に就けて元の健康状態に戻れる。
もしも今、家庭内にトラブル満載でも、いつかきっと信頼感に満ち溢れた元の健康状態に戻れる。
もしも今、借金地獄に喘いでいても、いつかきっと完済できて何をするにも惜しみを感じない元の健康状態に戻れる。
こう考えるだけで私達の内側から不思議なパワーが漲ってくる。
全ての源泉は渾身の感謝だ。
ありがとうございます、感謝。誰しもに備わった凄まじい潜在能力。
ありがとうございます、感謝。自然治癒力は人生の広範囲に発動可能だとの発見。
ありがとうございます、感謝。自然治癒力をモチベーションアップ研修の新ネタに加えるアイデアが湧いた事。
~☆浦上俊司
2007年06月05日
好きこそ物の上手なれ:☆高橋 宗照☆

だいぶ古い歌だが、「もしもピアノが弾けたなら」という歌がありました。
内容は「今のボクはピアノは弾けないけど、もし弾けたら君にこんなことをピアノで伝えたい」という
歌詞だったと思います。
実は私は音楽(特に楽器を扱うこと)は大の苦手。
だからピアノを意のままに感情をこめて弾けてしまう人や、ギターで弾き語りなんぞもできてしまう
人を素直に尊敬してまう傾向があるんです。
これはどんなことでもそうなんですね。
だから自分にとっては「苦手だなぁ~」と実感できていることを難なく、それも楽しそうに出来てしまう
人を本当に心から尊敬してしまうんですよ。
例えば・・・
ハーレーの調子が良くないから、その場でちょいちょいと直せてしまう人
(最近これを目の当たりにして、素直に感動した!)
料理を楽しみ、相手の好みと場の雰囲気にも合わせて作れてしまう人
(ちなみに私は味すらよく分からない味音痴)
英語などの外国語を母国語のように話してしまう人
柔軟体操を難なくこなしてしまう人
(私は若い時から体が固いんです)
本人にとってはしごく「当たり前」のことかもしれないのですが、私にとってはそれはまさに「尊敬の的」。
やはりここで思い出すのが「好きこそものの上手なれ」という言葉です。
正確に言うと「楽しいことがすべて自分のスキルになる」と言ってもいいかもしれません。
この「好き」と「楽しい」・・・
あまり違いはないようですが、実は雲泥の差があるんですね。
ちなみに私の楽器下手は、今でもはっきり覚えていますが小学校3年生の時から。
初めてリコーダーなるチョコレート色をしたタテ笛を手にして、いきなり先生が
「じゃあメリーさんのひつじを吹いてみましょう!」と言われ、ほとんどの人が
普通に吹いていることに、私は呆然としました。(何で、どーしてみんな吹けるの??)
それ以来、私は楽器音痴の人生を実感し続けています・・・
確かに努力すれば「リコーダー」を吹くことが多少は好きになったかもしれない・・・
しかし私にとって決して吹くことを楽しいとは思えないでしょう・・・
「好き」になることは「無理」にでもできます。
しかし・・・
「楽しく」なることは「無理」にはできません。
なぜなからそれは心の底から湧き上がるもので、
たとえ強制されてもできない、自然の発露だからです。
だから自分に出来ない、苦手と思っていることを「ワクワク、ドキドキ」できるその人たちを素直に
尊敬してしまんですね。
もう絶対叶わないよなぁ~と思うからのでしょう。
でも思います・・・
故障を簡単に直せたら、もっと違うバイクの世界が拡がるんだろうなぁ~
料理ができたら、もっと食事を楽しめるんだろうなぁ~
(昔会社の先輩から、「食事を楽しめないなんて、人生の半分を失っているな!」と真剣に言われた言葉を
今でも思い出します・・・)
どの国へ行くにも物怖じせず、本当の意味で世界が拡がるんだろうなぁ~
(正直、海外に行くと急に無口になってしまう自分がいます(笑))
など・・・。
まずはどんなことでも「小さな興味と素直な羨望」を持つことが大事なのでしょうね。
(株式会社 タカハシ&パートナーズ 代表取締役 高橋 宗照)
昨日、研修の帰りにあるところに寄りました。
以前からのお知り合い(もう10年以上のお付き合いになります)の方が、この度セミナーにも使える
部屋を作られたので、それを見学しに行ったんです。
とてもいい雰囲気で、これから私も使わせてもらおうと思っています。
(また詳しくはあらためて発表すると思います)![]()
(携帯で撮影。画像はイマイチですがとっても安らげる空間でした!)
2007年06月04日
『バスドライバー』~☆浦上俊司

タクシードライバーは色々なタイプの運ちゃんがいるが、バスドライバーは没個性的なイメージがある。
しかしそのプロの仕事ぶりには敬意を表す。私には逆立ちしても出来ないプロ技の連続だ。
一昨日、大阪の北港ヨットハーバーにあるオシャレなレストランウェディングMCの仕事を受けた。
西九条からバスに延々と揺られるのだが、バスドライバーの仕事はタクシー運ちゃんよりも電車の運転士よりも、いや飛行機のパイロットよりも仕事量が多いのではないかと学んだ。
飛行機や新幹線は安定運行になれば、コンピュータ自動制御で任せておけばよい。人間の経験からくる目と勘を大切にしながらも、ほとんどが機械任せである。
しかしバスドライバーは、とことんアナログ運転である上に、何が飛び込んでくるか、何がぶつかってくるか予測できない一般道での勝負である。
乗客が降車ボタンを押すかどうかで、次の停留所に停まるかどうかの判断をしながら走る。
降車ボタンを押さなかった場合でも、バス停に待ち客がいれば停まらねばならぬ。
乗り込んでくる乗客は圧倒的に高齢者が多い。
電車以上に揺れが激しいバスは、停発車ごとにバックミラーで乗客が座ったか、吊革に掴まったかを確認してから、緩やかにクラッチを放しアクセルを徐々に踏み込む。高齢者はすぐに転倒するので細心の注意が必要だ。
走行車線に合流する際、右側から突っ込んでくる後続車を確認しなくてはいけない。
また同時に左側を猛スピードですり抜けて行く原付バイクを確認しなくてはいけない。
それでいて、バス停に書かれた時刻表どおりの運転に努めている。私の感覚ではJRのルーズすぎる時刻表よりは、よっぽど正確だ。
時々いるマナーを知らない乗客には、インカムマイクで「携帯電話の使用はご遠慮頂けませんかぁ~」とバックミラー越しに運転しながらやんわりと注意する。
さらに降車時の料金チェックもバスドライバーが一人でやる。
まさか200円くらいの小銭を誤魔化すアホはおらんだろうが、それでもちゃんとチェックする。
興味を持って見ると、ほんまに仕事量はかなり多い。
全てを一人でやっているバスドライバーたち、あんたらはホンマにえらいッ!!
ありがとうございます、感謝。プロの仕事を観察できて学べた大阪市バス30分の旅。
ありがとうございます、感謝。滅多に少なくなったバスに乗るチャンスをくれた北港のカジュアルレストラン。
ありがとうございます、感謝。海の香りが漂うレストラン前の中央芝生での人前結婚式を無難に仕切れた事。
~☆浦上俊司
2007年06月03日
『アイコンタクト』~☆浦上俊司

研修でコミュニケーション演習の際、二人ペアになってアイコンタクトの練習をする。
人の話を聴く時は、相手の目を見て聴くのがマナーだ。
人に話をする時も、相手の目を見て話すのが常識だ。
そこで、黙って目と目を見つめ合って頂くのだが苦しくて‘間’が持たない。
30秒後に私が卓上ベルを「チンッ!」と鳴らすと、皆さん一斉に「フゥ~」と言って笑いが起こる。「チンッ!」の音色がまるで‘天使のささやき’のように聞こえ、救われたような気分になられるようだ。
さて、そのアイコンタクトのコツとして、相手の左右の眼球を見ずに目と目の間を見るのだ。そうすると楽に見れる。
そして見られている方は、ちゃんとこの人は自分の目を見てくれているという気になる。目と目の間の奥には脳の司令塔である視床下部が鎮座ましましておられるから、そこに向かって思念をブチ込む意味でも効果的なコミュニケーション方法だ。
さらに‘謙虚な視線’に見せたいならば、目と目の間から少し下がって鼻先くらいまで視線を落とすと、相手には目を見てくれていると思って頂ける上に、謙虚な印象を与える事ができる。
クレーム処理などは、この視線が非常に効果的だ。
眼球を直視しすぎると挑戦的に取られがちなクレーム処理も、この謙虚な視線ならば‘真摯な反省’が演出できるものだ。
そんなアイコンタクトの演習をしているうちに、私が一日で最も多くアイコンタクトをするのは何に対してだろう?とふと思惟した。
腕時計と手帳だ。
一日の行動を書き込んだ手帳に、済んだ案件からどんどん横線で消していく。
精力的にスケジュールをこなしていくクイックレスポンスな自分の行動に満足しながらの作業だ。
腕時計とも毎日何十回とアイコンタクトする。
時間に神経質な私は腕時計が大好きで、入浴中以外は四六時中、左手にはめている。
今は安物の腕時計だが、使うほどに愛着が増してくるものだ。アイコンタクトの回数に比例して思い入れが増してくるものだ。
‘いつかはグランドセイコー’の夢を追いつつ、今日も安物腕時計とのアイコンタクトが続く。
ありがとうございます、感謝。いつかは毎日アイコンタクトができるだろうグランドセイコー。
ありがとうございます、感謝。それまでの繋ぎで毎日アイコンタクトができるだろうブルガリアショーマ。(グランドセイコーに落ち着くのは60歳からで充分だ)
ありがとうございます、感謝。ドキドキするような女性とのアイコンタクトを何十年も経験していない辛抱貯金の我が人生。(いつかは幸福満期だ!)
~☆浦上俊司
2007年06月02日
『仲間の旅立ち~祝・独立!』~☆浦上俊司

仕事仲間の友人二人が今月1日付で独立した。社長と専務として。
サラリーマンだった時から、彼らは何かの事業を起こしそうなオーラを漂わせた二人だった。
一緒に研修の仕事をしたり、セミナーの企画を立てたりする際に一瞬感じる‘独立オーラ’。
彼らの背後には、それが数年前から漂っていた。きっと彼ら二人なら大成功するだろう。
聞けば同じ人材事業とのこと、私が協力できる機会もあるかも知れぬ。微力ながら力になりたい。
思えば私も学習教材のフルコミセールス訪販に入る前、友人とビジネスを始めるチャンスがあった。
しかし‘もし失敗したら彼との友情に亀裂が入るかも?’との不安感と、安定したサラリーマン根性が払拭できない私の臆病な心ゆえに道を違えた。
ま、今でも友人関係でいられるのだから選択肢としては良かったのだろう。
いずれにせよ、サラリーマン時代とは比較にならないほどの熱きモチベーションに包まれている二人だから、昔の私が懸念したような事はないだろうが、独立したからには死に物狂いでやってほしい。
可愛い子供のために男は命懸けになって働かねばならんッ!
絶対に絶対に、可愛い子供には生活の心配をかけてはいかんッ!
決死の覚悟をして仕事にむしゃぶりついているお父さんには、たとえ会う時間が少なくても子供は必ず付いてくるッ!
聞けば彼らの子供ちゃんの年齢は、私の訪販時代の我が子の年齢に等しい。
世間から偏見を持たれる仕事でも、お客様から罵倒される仕事でも、売らなければ収入ゼロという不安定な仕事でも、子供の寝顔を見ると凄まじいモチベーションが噴射したものだ。
こいつの為なら俺は命を懸けれる!と覚悟できたものだ。
こいつの為なら俺はどんなに辛い仕事でもやり抜く!と決意できたものだ。
若き経営者の二人には、言うまでもなくこの覚悟は備わっているはずだ。
ありがとうございます、感謝。若き自分の姿を彷彿とさせる二人の経営者。
ありがとうございます、感謝。モチベーションアップのコツは私が研修でいうノウハウではなく独立する事が一番手っ取り早いとの気付き。
ありがとうございます、感謝。若い者にはまだまだ負けんと燃える内なるモチベーション。(近い将来、又一緒にええ仕事しようぜ!)
~☆浦上俊司
2007年06月01日
『議会紛糾劇場』~☆浦上俊司

こないだから年金問題について、与野党の口角泡を飛ばしあう議会の様子が放送されている。
最後は紛糾して暴力でもって議長の口をふさぎ、マイクを隠してしまうシーンを見るにつけ、子供の喧嘩以下の稚拙さを感じてしまうのは私だけではないだろう。
非常に不愉快なのは、一斉に議長に詰め寄り議長を拉致する議員が‘半笑い’であることだ。
国民に対するパフォーマンスであるならば、いっそのことプロレス的に、もっと過激な演出でショーアップして欲しいし、真剣勝負の議論であるならば、もっと大人の話し合いができるだろうと思うのだが。
一生懸命に公僕に徹している真摯な政治家が大半を占めるのだろうが、どうも不純な動機で政治家と言う職業をやっている奴も多くいるように感じてしまう。
私は年金はまず貰えないと覚悟している。
どう考えても人口比率が成立しない仕組みの中で、私達世代が受給資格年齢になった時に貰えるはずがない。方程式は‘解なし’である。
安物の騙しのプログラムで会員を拡大して投資させるネズミ講でも、もっと‘あり得そうなプログラム’を架空シュミレーション計算で見せるぞよ。そしてセミナーで煽るぞよ。
この国の高齢化人口と少子化人口の割合を考えれば‘あり得ないプログラム’は見え見えだ。
だから年金を払うのは‘社会貢献’のためだけ。
だから年金を払うのは‘今まで頑張ってくれたお爺ちゃんお婆ちゃんたちにお返しする’ためだけ。
‘貰えるために払う’という期待は捨てた方が良さそうだ。
ありがとうございます、感謝。毎月きちんと国民年金を払えている今。
ありがとうございます、感謝。年金に期待しなくても済むように貯金をしておこうとの燃えるモチベーション。
ありがとうございます、感謝。拉致される議長の表情が大好きな武田鉄也の怒り顔とダブって笑える事。
~☆浦上俊司
