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2005年11月26日

コンプライアンスをあらためて思う

最近TVのニュースで必ず登場している「姉歯」の文字とその本人。
そしてその「偽装」の絡みで右往左往している建築会社と、とんだ迷惑を被っている住民の方々・・・
私も建築業界にいたので、少なくても住民の方々の心労や今後の不安などが痛いほどよく分かります。

(この関連するブログは浦上先生も書いています。こちらもご覧下さい!)

「タカハシブログ」
「浦上俊司の感謝ブログ」

それにしてもこれらの風景を観て、ふと違和感を覚えました。

淡々とそれも無表情に事の顛末を語る「姉歯氏」
そのコメントに困惑しながら、この状況を何とかしたいと思っている「建築会社」と「民間認定機関」
住民の方々の「苦悩」(住民の方は顔が出ないので、その話されている声から察するしかないが・・・)

一方は淡々、もう一方は困惑・苦悩・・・

なぜこんなに淡々とできるのかなぁ・・・と私も思っていました。
これが淡々とせず、
「ごめんなさい!本当に私が悪かったんです!!」
と記者会見上で号泣すれば、
「あ~この人もそれなりに辛いことがあったんだろうなぁ」と多少でも情状を酌量する部分も
あるのでしょうが、実に淡々と(半ば他人ごとのように語っている)言われると、
「少しは悪いことをしたと思っているのかぁ~!?」と言いたくなるのが、大方の感想ではないでしょうか?

ここからは私の独断でもあるのですが・・・

おそらく、この「姉歯氏」は実は相当迷っていたのではないか?
自分が行った偽装、耐震性が著しく欠如した建築物、そして当然専門家だから「偽装」した結果が
どのような「結果」を起こすか?(最近さかんに言われている直下型地震が起きればまず大惨事は免れない、ということなど)などは当然分かっていた。

しかしもし彼の言うことが本当なら(鉄筋の数減らせ~!減らせないなら、仕事やらんぞ~!と建築会社から言われた等々)、やっぱり「メシが食えないのは辛い」と、つい「偽装」の方に手を染めてしまう。それが何回も続けばもともと自分が持っている「良心」も薄れてきていまう・・・(まずはメシを食うためにはしょーがないでしょ!と・・・)

しかし何らかのことで、再び彼の「良心」が目覚め、そして(たまたまなのか??)今回の「偽装」発覚で
「やっと良心の呵責から開放されて、すべてのことをぶちまけてしまっている」から「淡々」と「半ば開き直っている」のではないか?
とふと思ってしまったのです・・・

コンプライアンスが最近特に言われています。(この手のコンサルティングやセミナーにもよく呼ばれます)
これを「法令遵守」と言いますが、まずは法令云々の前にとても大事なのは一人ひとりの「良心」なのではないでしょうか?いくら法律ではこうですよ、その法律を破ればこんなに大変ですよ!と言われても、「開き直った」者には関係ありません。(開き直った者ほど強い者はありませんから・・・)

今ここで再度ビジネスにおける「効率のみを重視する経営」から

「効率も大事だけど良心は必要。そしてどちらかを優先するなら、まずは良心を優先する経営」

が必要な時代なのではないか?
それをあらためて我々に感じさせる出来事であるような気がしてなりません・・・


(タカハシパートナーズコンサルティング 代表取締役 高橋 剛)

投稿者 : | 23:11 | トラックバック

2005年11月21日

あぁ個人情報 (T_T)

先日待ち合わせのため、夕暮れ時のマクドナルドでコーヒーを飲んでいました。
(あ~この1杯100円というお値段がうれしい!)
まだまだ時間があったので、その間読書をしていながらまったりとした時間を過ごして
いました・・・が、しかしです!
私の後ろで、50代半ばのおばちゃんが携帯で、それも大声で話しはじめたのです!
それを聞いていた私は、
「まったく公共のマナーっつうのを理解しろよなぁ~!」とかなりムッとしながら読書を
していたのですが、どうにも読書に集中できません・・・

そこでついつい何気なくおばちゃんの電話の話についつい聞き入ってしまいました。
(それだけ大声で話しているんだから、よく聞こえてしまいます)

「・・・あ~私ねぇ、インターネットのオークションってやったことがないのよねぇ。だから
詳しいことはよく分からないのよぉ」

「でもインターネットしか売っていないものがあると、つい欲しくなるのよねぇ」
(たぶん電話先の相手が「じゃあ、なんで買わないの?」とでも聞いたのでしょう)

「・・・あ、だって顔知らない相手にこっちの住所とか教えるのは怖いでしょ?それに
お金を払って物が来ないことだってありそうじゃない?」

「・・・あ~代金引換っていうのもあるけど、やっぱりねぇ住所を教えるのはねぇ・・・
最近は個人情報って騒がれているでしょ?」
(まぁインターネットオークションは個人間売買が多いし、顔も知らない相手に
住所を教えるのは確かに怖いと思う部分もあるよねぇ)

(そして、しばらく電話先の相手といろいろ話したあげく、どうもその相手がインターネット
初心者らしく、実際にオークションページを見てみたいということになったらしい)


「あ、そう!じゃあ私の家に来ればいつでも見せるわよ!・・・そーねぇ今週は都合が悪い
のよぉ」

「今週は木曜、金曜と母の見舞いに○○大学病院に行かないといけないのよ。・・・そうそう、
母が脳梗塞で倒れちゃってねぇ、今度は私が身の回りのことをするのよぉ」

「土曜日は旦那がいるのよねぇ。先月旦那が○○会社を嘱託になって、土曜日はうちに
いるのよね。・・・そうそう、役員までになって円満退社はしたんだけどね・・・」

「だから、来週の月曜日なら大丈夫よ」
(相手が家はどの辺だっけ?と聞いてようで・・・)

「あ、うちはねぇ○○駅で降りたら、青梅街道沿いに新宿方向に歩いて5分くらいかな?」

「住所はねぇ・・・○○区○○町・・・・、もし分からなくなったらうちに電話して。携帯がつながり
づらいのよぉ。うちの電話番号は・・・」


これには思わず苦笑してしまいました。
個人情報云々と言いながら、でかい声でそれも不特定多数の人がいる場で、これだけのこと
を話したら、もう十分その人のことが判ってしまいますよね?
もちろんそのおばちゃんには何ら興味はないけど、思わず“ブログネタ”にはちょうどよかったので
ついつい聞いてしまいしました(笑)

まぁ確かに見えないインターネットも怖いけど、まずは公共の場ででかい声で話すことを
まずはあらためた方がいいのでは?
とふとマックのコーヒーをすすりながら思ったのです。

追伸
ちなみに私は最近ではネットオークションはよく利用します。欲しいものを購入する時間も
ない(もったいない)私にとっては非常に便利ですけどね。


(タカハシパートナーズコンサルティング 代表取締役 高橋 剛)

投稿者 : | 10:41 | トラックバック

2005年11月20日

年齢と共に薄れゆく感激

浦上俊司

いつもは前方通路側の席を予約するが、今日の沖縄行きは移動日で急がないので後方通路側を取った。
これが‘学びの始まり’だった。

搭乗待合室から予感がなんとなくしていたが案の定、遭遇した修学旅行客の集団。後方席は約30人ほどの女子中学生の集団で占拠されていた。ハイジャックより、ある意味恐い。
私は一般客と女子中学生軍団との境界線のシート。えらい席になってもた・・・。
こりゃ本も読めんわぃ、と焦り機内イヤホンを耳に突っ込む。しかし、イヤホンのクラシック音楽を遥かに超えるデシベルで襲ってくる女子中学生の黄色い声・声・声。
離陸時に強いGが体を後ろに引っ張るや否や「きゃ~!きゃ、きゃ、きゃ、きゃ~~!!」。離陸して窓の下の大阪市内の景色が小さくなっていくと大歓声と割れんばかりの大拍手!パチパチパチ!

1時間半ほどの安定飛行中は大人しかった彼女たち。しかし、そろそろ高度を下げ始めた頃、たまたま気流が悪く今日はよく揺れた。
機体が上下するたびに「ぎゃ、ぎゃ、ぎゃぁぁぁ~~ッッ!た、た、助けて~ッ!堕ちるぅぅぅ~~!」。さながらジェットコースター並みのお楽しみ方だ。確かにスリル満点だった。分かる気はする。
中には泣き出す女子中学生あり、それを「大丈夫よ!大丈夫よ!」と肩を抱きかかえ「死ぬ時は一緒やん。な、わかった?」となだめる女子中学生あり。(オエ、オエ、俺は一緒に死ねへんぞ!俺はまだまだこの世でやらねばならん事があるんじゃ!)と心の中でつぶやいていると、雲を突き抜けて窓の外に沖縄の青い海が広がった。
わ、わ、わ、わぁぁぁ~!きゃ、きゃ、きゃぁっぁっぁ~!めっちゃ綺麗ぇ~~!!映画みたいぃぃぃ~~!見て見て見て~ッ!」と5秒前まで泣き叫んでいた女子中学生。(こらこら席立ったらアカンぞ)
そして着陸の瞬間「ヒュー!ヒュー!ヒュー!」と隣同士でハイタッチ!(オエ、オエ、お前の手柄ちゃうど!パイロットさんが頑張ったんや!)と心の中の私。
そしてまたもや割れんばかりの大拍手!パチパチパチ!

思うに、‘感激できる感性’ってすばらしいな。
私たち大人は年齢と共に感激が薄れていくんだな。
私も中学生の時に飛行機に乗ればハシャぎまくっていただろう。
思い返せば19歳の時、青山学院大学を受験するために渋谷まで姫路から新幹線に初めて乗った時に感激したもんなぁ・・・(ちなみに青学は合格した。名誉のための言及)

42歳の今、新幹線にも飛行機にも何ら感激のない自分を発見し考えさせられた。
私は日ごろから‘当たり前の事に感謝する感性を忘れてはならない’と力説している。‘感謝’と‘感激’は似ている。‘少しの事に感激する感性を忘れてはならない’のかもしれない。

ありがとうございます、感謝。大切な何かを思い出させてくれた黄色い声。
ありがとうございます、感謝。慣れてしまって感激しなくなるほど全国各地に行ける私の仕事。
ありがとうございます、感謝。やっぱり綺麗な沖縄の青い海。(ねずみ色の須磨海岸とはエライ違いや・・・)

投稿者 : 浦上俊司| 16:28 | トラックバック

2005年11月17日

あの良き時代は何処へ~大相撲考

浦上俊司

移動日で早めにホテルにチェックイン。ここは宮崎。高校の修学旅行以来にこの土地を踏む。
今も忘れない修学旅行の想い出は、当時のガイドさんが教えてくれたタクシーの運転手さんが新婚旅行客に歌って聞かせる歌、「君はぁ~♪今日からぁ~♪‘妻’という名の僕の恋人、二人~だけだよぉ~♪ハ~ネ~ム~ン♪フェニックスの木陰~♪んんん~♪んんん~♪宮崎の二人~♪んんん~♪んんん~♪」二番は「僕はぁ~♪今日からぁ~♪‘夫’という名の君の恋人、」と続く。
この歌をタクシーの運ちゃんは、新婚旅行客と見るや歌ってくれる・・・そんな話を思い出す。もっとも今は新婚旅行で宮崎はないか。

さて、テキスト作りも一段落してテレビをつけると大相撲をやっていた。今場所は朝青龍の連勝記録と琴欧州の大関昇進が見所らしいが、画面を見て愕然とした。
ガラガラなのだ。
それはそれは空席だらけでヒドイもんだ。私は思わず腕時計を見た。三段目か幕下の時間かと。しかし充分、中入り後の時間。
ここまで相撲人気が凋落していたとは。

格闘技観戦マニアの私は、ストリートファイト(街の喧嘩)では相撲が一番強いと昔は信じていた。
新日本プロレスと全日本プロレスと国際プロレスしか無かったその昔、実は‘相撲取り最強神話’を信じていた私だ。
PRIDEもK-1も無かった大学時代は、千代の富士が世界最強の喧嘩屋と信じていたし、板井のツッパリは骨法の掌底よりもロベルトデュランの石のコブシよりも、相手の脳を揺さぶる危険な技だと信じていた。
四畳半の空間なら相撲取りの喧嘩の強さはピカイチで、猪木よりも坂口よりも藤波よりも馬場よりも鶴田よりもラッシャー木村よりもスタンハンセンよりもブルーザーブロディよりも千代の富士が強いと公言して憚らなかった。

その後、北尾が高田に一発で仕留められた頃から私の中で‘相撲取り最強神話’が音を立てて崩れ、曙のぶざまな姿を見るにつけ、やはりリアルファイトは‘圧力’だけでは勝てないと分かり、今はヒョードルが人類最強との結論に落ち着いている。

しかし‘国技・大相撲’が、このありさまでは情けない。
生前の父が一度は桝席で観戦したいと望んでいたが、叶わなかったほど取れないプラチナチケットだった時代は何だったのか。懐かしくもあり、父の望みが今なら叶えられるのに、との悔しさもある。

このまま日本人スター不在なら、大相撲の未来はどうなっていくのだろう。身体の大きな子供はみんなサッカーや野球に取られて相撲は子供たちにとって人気がない。もっと子供たちに憧れられる職業に(収入やイメージを)高めていかねば衰退の一途をたどるばかりだ。

私は力士の入場時にテーマソングを流したり、コスチュームや髪型も自由にしてはどうかと考えているのだが・・・。

ありがとうございます、お客様に支持される興行とは何かを考えさせてくれる相撲人気の凋落。
ありがとうございます、そんな中、気迫溢れる表情は格闘家の原点だと感じさせてくれる朝青龍。
ありがとうございます、ほんまにコイツはイってしまってると感じさせてくれる高見盛。

投稿者 : 浦上俊司| 18:07 | トラックバック

2005年11月16日

危うい境界線

浦上俊司

この世に住むか、あの世に住むか、その境界線というのは非常に危ういもので、実はヒョイッと横断歩道の白線をまたぐ様なものなのかもしれない。
健康に気を付けて細心の注意を払い、食べ物も節制し身体をいたわっていたいる人が、ある日突然病に倒れる事もあれば、豪快にタバコや酒を楽しみ、好きな時に好きな物を好きなだけ食べている人が長生きしている例もたくさん見る。
世の為人に為に尽くしてきた人が突然の事故や凶悪犯罪に巻き込まれて命を落とす事もあれば、一見なんら世に貢献してなさそうなプー太郎が災難から逃れて生き延びたりする例も多々ある。

まさに天命のなせる業か神の采配か。

ふと振り返ると、私もヒョイッと白線をまたいでもおかしくない瞬間が何度もあった。
2歳の頃、喘息の発作で息が止まり、病院に着いた時には両目が完全に白目を剥いてひっくりかえっていたという。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

5歳の頃、親が目を離した隙に温泉旅館のプールに一人で飛び込み、溺れて沈み数分経ったところで父が私の姿が見えない事に気付き、浴衣のまま飛び込んで私をすくいあげた時には顔色がもう紫色で、人工呼吸の末に大量の水を噴水のように噴き出し、顔色に赤みが戻り生還したという。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

6歳の時、父のブルーバードの運転席で一人遊んでいる時、キーをひねりエンジンをかけ、たまたまクラッチとアクセルが合ってしまったのだろう(当時はオートマなどなかった)、急発進してしまい電柱に激突してやっと車は止まった。私は体が小さかったのでハンドルの下の空間に体がスッポリはまってしまったおかげでフロントガラスに頭から突っ込まずに済んだという。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

高校時代、脳脊髄膜炎という病気にかかり背骨と背骨の間に注射針を突っ込んで脊髄液を抜く治療をした時は、その激痛ゆえ気を失うほどだった。幸い、大した病ではなく完治したが、もし悪化して本格的に発病していたら・・・。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

大学時代、バイクで八瀬へ抜けるワインディングロードでスピードが乗りすぎて曲がりきれず転倒。そのままの勢いで崖のガードレールにブチ当たりバイクが大破した。幸い、皮つなぎを着ていたので骨折もなく、救急車で運ばれたが打ち身だけで入院もせずに済んだ。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

社会人になって夜中に暴走族にからまれ乱闘に巻き込まれた。打ち所が悪ければ大怪我どころか命さえも・・・。
あの時あちらに住まいを移していても不思議はなかった。

思い返すとキリがないほどの‘ヒョイまたぎ’の瞬間が私にもあったのだ。
そう思うと、今の命が愛しくて仕方なくなる。今、生かされている事の意味を心底かみしめなければならないと気が引き締まる。

私にしかできない事があるから生かされているのだ。
私でしか成し得ない使命があるから命を頂いているのだ。
ならば今日一日を全速力で走る。“世の為人の為、そしてちょっぴり自分の為”に全速力で走るのだ。

ありがとうございます、いつ終わっていてもおかしくない命が今日も消えぬ灯として続いている事。
ありがとうございます、過去の様々なシーンで私の命を消さなかった方々。
ありがとうございます、人生の折り返し地点の今、命について深い考察ができる日常。

投稿者 : 浦上俊司| 18:58 | トラックバック

2005年11月15日

巧と兄貴、私と青波

浦上俊司

ノウハウ本は全く読まないが小説はしょっちゅう読む。話題作についてはそれをめがけて本屋に行くが、それ以外はフラリと本屋に立ち寄って‘ありがとうございます’をブツブツ唱えながら目に飛び込んでくる本を手に取る。
すると不思議とその時の自分、そのレベルでの自分に必要な作品に出会える。ここでも感謝道の凄さを実感する。感謝道は常に必要な物を必要な分だけ必要なタイミングで与えてくれるのだ。

「バッテリー」(あさのあつこ著)が必然の流れの中で私の手に吸い付いてきた。

2~3ページ読んでオモロそうな直感がして買った。全六巻だが、あっという間に一巻を読んでしまった。ジャンルは一応‘児童文学’らしいが大人が結構ハマル。

私は日ごろの研修では「世に必要とされる人材の根本要素のひとつとして‘バランス力’があります。あらゆる人ともバランスよく交渉できる人材こそがコンスタントに成果を上げる人材です。」などと言っているが、実はこの主人公・原田巧(はらだたくみ)のようなアンバランスな人間が大好きなのだ。

天才的なピッチングセンスを持って生まれた巧は、おじいちゃんからのDNAを身体の隅々にまで凝縮して生を受けたのだろう、巧の投げる球は同世代の少年がキャッチできるレベルではない。そして彼はマインドも全く子供らしくなく、憎憎しいほどの自信と野球にかける情熱が尋常ではないのだ。人にはないすばらしい財産を身体に受け継いだ分、人にある大切な何かが欠落しているような少年なのだ。そんな巧がこれからどんな青年に成長していくのか、これからの展開が想像つかないところが、たまらなく楽しみだ。早く二巻に進みたい。

私が今、ワクワクするのは青波(せいは・巧の弟)との二人兄弟の姿に私は自分と兄貴を重ねているからかもしれない。

青波は身体が弱く病気がち(私の幼少時も同じ)。兄の巧のすることをよく見て真似をしようと背伸びする(私も兄貴のすることに非常に興味を持っていた。親父よりも兄貴に興味があった)。そして青波はよく気がつくいい子で巧はストイックなまでの情熱を心に持ちながら対人面ではクールすぎる一面を持つ、ここが私の兄貴にそっくりなのだ。

兄貴はグラフィックデザイナーになると幼いころから決めていた。確かに子供の頃から異常なほど絵が上手かった。(私は夏休みの宿題の交通安全ポスターなどいつも兄貴に作ってもらって入賞した)
そして、これと決めたら物凄い集中力を持つ兄貴だった。(私は飽き性で何をやっても続かなかったが)
特に絵を描く時と本を読む時の集中力は弟から見てもかっこよかった。圧巻だったのは高校時代の成績が美術と国語だけが校内1位で他の全教科が偏差値40位だったことだ。とにかく極端な人だった。
性格的にも巧のように父親への反発と軽蔑が兄貴の心にあったように私は思う。兄貴はその後、デザイナーの専門学校へ進学しグラフィックデザイナーを天職として生きている。おしゃべりで腰が軽く、よく動く私と正反対の兄貴は今も寡黙にデザインと読書三昧の日々だろう。

そんなことで私は、この巧少年が他人とは思えないのだ。青波が自分の分身のように思えてならんのだ。
二巻以降のコンセプトは今は全くわからない。兄弟愛を描くのか、巧にだけスポットを当ててプロになっていくのか、その前に甲子園出場などのドラマが待っているのか、はたまたアクシデントで野球が出来なくなっていくのか、巧の父や母の生き方に感動が待っているのか・・・。いずれにせよ、この先、1ヶ月は楽しめそうだ。

ありがとうございます、巧と青波のワクワクする今後。
ありがとうございます、すばらしいと予感させる作品を世に出してくれた、あさのあつこ。
ありがとうございます、絶妙のタイミングでいい本と出会わせてくれた感謝道。

投稿者 : 浦上俊司| 21:07 | トラックバック

CSとは何ぞや?

どこでもこの言葉を聞きます。
もう説明がいらないくらいのですが・・・CS(=カスタマーサティスファクション)とは日本語に直すと
「顧客満足」という言葉で表されます。
では、何をどの程度行えば「顧客満足」なのか?
その部分はいろいろ諸説がありますし、どれも合っている・間違えているとも言えません。

しかし私にとって「それはいかがなものか?」と思うのは

口先だけのCSを唱えている姿勢

なんですね。念仏ではあるまいに(と言っても念仏はまだ唱えるだけでも十分ご利益がありそうなので、
この表現は不適当なのかもしれません)、
「私はCSを大事にしています」や「当社はCSを第一としている」と言うのは簡単ですが、

「CSが大事だ!と言うこと」=「CSそのものができている!」

では、まったく違うことなんですね。

まずここで大事なことは、
何を言うか?ではなく、何ができるか?なのです。

そういった意味では英語は実にそこのところをよく表現できています。

What do you say?(建前)
What do you do?(本音)

まさに行動こそ、すべて・本音だと言うことですね。
そこから考えると、ではCSを行動化できるには、どうしたらいいのか?私はやはり相手への
「気遣い」や「心遣い」
が大切な要素になると思うのです。

なぜこの人はこの商品を欲しいのか?その気持ちを知ろうとする「心遣い」
なぜこの人は怒っているのか?その気持ちを察する「気遣い」などなど。

こんな「心」がない人たちから「私達はCSを大事にしています」なぞ、言われてもしらけるだけです。
自分達は分別のあるつもりだけど、言っている者ほどないのがこの「分別」なんですね。

先日ある居酒屋さんで「つもり十か条」というものが貼ってありました。
内容がとても気に入ったので、思わずコピーまでしてもらいました。
あらためて考えさせられます・・・

高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少ないのが分別
少ないつもりで多いのが無駄

(タカハシパートナーズコンサルティング 代表取締役 高橋 剛)

投稿者 : | 16:22 | トラックバック

2005年11月14日

最後の最後は感謝

浦上俊司

テニスの松岡修造がかつてテレビの試合解説でこんな事を言っていた。
「ここまでの凄い世界レベルの試合になると勝敗を決するのは、最後まで自分を信じ切れるかどうかなんです。少しでも自分にマイナスイメージがよぎったり、自分はダメかも?と一瞬迷ったりすると一気に流れが相手に行ってしまいます。そしてもう流れを引き戻す事は出来ません。」と。
確かに世界クラスになると技術は頂点まで登りつめている者同士であろうから、後はメンタル勝負ということなのだと納得する。

‘ビジネスもスポーツも原理は同じ’との考えを持つ私は、確かに仕事でここ一番の大勝負の時は自分を信じ切っているのかもしれない。しかし自分って不思議な存在で、時として好きになれたり、嫌いになったり、自信に満ち溢れたり、コンプレックスに陥ったり、とセルフイメージは日々変わるものだ。
今日はいい顔をしていると満足できる日もあれば、親を恨みたくなるほど情けなく翳った顔をしている日もある。
つまり‘自分を信じ切る’ということは、その日によって出来る日と出来ない日があるのではないだろうか。

しかし‘感謝’は、いつでもできる。どんな日でもどんな自分でもできる。
好きな自分でいられる日には‘こんな充実した日を送れる自分の運命に心から感謝’ができるし、嫌いな自分の日には‘こんな嫌な自分でもこうして空気が吸えて心臓が動いてくれて生かされている感謝’ができる。

だからもし、先の松岡氏のコメントが、「最後に勝敗を決するのは、テニスが出来る事に感謝が出来た方が勝つでしょう。世界の頂点をかけた試合に出場することが出来た自分に感謝、ここに来るまで戦ってきた土台となった選手たちに感謝、その思いが勝利の女神を呼び込むはずです。深い感謝をした方が勝ちです。」であったならば私は涙しただろうな・・・。

ありがとうございます、自信よりも信念よりも努力よりも勝る感謝をテーマとしたブログを書ける事。
ありがとうございます、感謝を極めていくと結果に対し一喜一憂しないフラットな心が作れる事。
ありがとうございます、今日も朝起きれた事、ごはんが食べれた事に感謝できる自分。

投稿者 : 浦上俊司| 22:12 | トラックバック

2005年11月12日

名も知らぬオバちゃんが教えてくれた事

浦上俊司

仙台空港でバスを待っていた。空港から駅へ向かうバスはビジネスマンや観光客でいっぱいだ。
バス停に並ぶ行列。私は行列ではいつも反射的に‘ありがとうございます’を心の中で唱える。車の渋滞に巻き込まれた時でも同じだ。
発車時刻10分前、私の前には10人ほど、私の後ろには20人ほどの行列が出来ていた。携帯のメールを触りながら待つ人、前後の友達と喋りながら待つ人、本を読みながら待つ人、みんな立ったまま様々な過ごし方をして発車時刻を待っている。
私は感謝道を実践しながらのヒューマンウォッチングだ。‘この人はどんな職業なのだろう?あの人はどんな用件で仙台に来たのだろう?向こうの人の考え方はどんなだろう?後ろの人が受講生として来たら私はどんな話をするだろう?’と。
そんな空想にふけっていると私のすぐ前の、品の良さそうなご婦人がチラッと腕時計を見て私を振り返り、「すいません、ちょっとトイレに行って来るので荷物を見てて下さいませんか?」と言った。私は「ええ、いいですよ」と快く引き受け、そのオバちゃんの高価そうなキャリーケースの後ろに立った。

五分経過・・・発車まであと五分。まだバスは来ない。さらに三分経過・・・あと二分で発車だ。(焦、焦、焦)
さらに一分経過・・・来たッ!バスが!・・・来ないッ!オバちゃんが!
ど、ど、ど、どないすんねん、このキャリーケース・・・。焦っているとバスが停留所に滑り込んで来た。ドアが開き、行列客は一斉に自分の荷物を持って前に詰め始めた。私の後ろの人も詰めてきて背中に息を感じた。依然としてオバちゃんは来ない。
一瞬、色々なシュミレーションをしたが、しゃーない、運ぼ。
私は自分のキャリーケースといつも持っているビジネスバッグ、さらにオバちゃんの高価そうな一回りドでかいキャリーケースを引きずってバスに乗り込んだ。
どないしょ?もしこのまま発車したら・・・。運転手に言うてちょっと待ってもらうか?いや、他のお客さんに迷惑やな。このまま駅まで行ってオバちゃんを待っとくか?いや、それなら泥棒と間違われるかもしれんなぁ・・・やっぱり外に置いたまま放っといて知らんフリして自分だけ乗り込むべきやったんか?いやそれはあまりにも薄情やしな・・・。

その時運転手が車内マイクで、「ご乗車ありがとうございま~すッ。それでは発車しま~す。」と言った。‘こりゃアカン、運転手に止めてくれるように言おう!’と私が立ち上がった時、外をダッシュで走りながら「ま、ま、ま、待ってぇぇ~~~ッ!」と叫ぶトイレ帰りのオバちゃんの髪の毛を振り乱した姿があった。
運転手が気付きドアを開けた。オバちゃんは肩をゼイゼイと上下させながら満員バスの中を見渡し、私の姿を必死で探している。中央あたりに座っていた私と目が合ったので、私は「荷物は持って入ってますので」と言ったら「ありがとうございます」と頭を下げて一番前の補助席に座った。

一安心して約40分のバスの旅。駅に到着した頃には私は先程のドキドキ緊張感はすっかり忘れ、脳の中は研修モードに切り替わっていた。
バスから降りた私をオバちゃんが待っていた。
「先程は本当にありがとうございました。重たい荷物だったでしょう。心から感謝しております。本当に感謝です。人の真心に触れました。感謝です。」と私に合掌してくれ、何度も何度も深々と頭を下げて涙を浮かべているのだ。
その姿が本当に美しかった。嫌味なく、気品に満ち溢れていて、心からありがたいと思って下さっている方だけが醸し出せるオーラがその体を包んでいた。
私は自分の感謝道がまだまだ‘口先感謝道’のレベルなのだと恥ずかしくなった。

ありがとうございます、本当の感謝する姿はかくも美しいと教えてくれた名も知らぬオバちゃん。
ありがとうございます、親切にしたいという心が結果的に良かったあの時の判断。
ありがとうございます、私に学びの機会を与えてくれるタイミングで訪れたオバちゃんの尿意。

投稿者 : 浦上俊司| 20:09 | トラックバック

2005年11月10日

突然の26万円

浦上俊司

風呂の給湯器が壊れた。
取替えで26万円の予期せぬ出費だ。
風呂(フロ)だけに26(フロ)万・・・シャ、シャ、シャ、シャレにならんがなぁぁぁ~~!!
突然お湯が出なくなり、メーカーさんに来てもらって最終結論は給湯器の寿命(14年目になる)との事。出費も痛いが今まで‘お湯が出て当たり前’と思っていた自分の心が痛い。ここは深く反省だ。蛇口を捻るとすぐにお湯が出て下さる事への感謝が薄れていた。それを思い出させるための気付きの事象だ。

大学時代、風呂無しのオンボロアパートで(もちろん給湯器など見たこともない)冬の夜中、アルバイト先から帰り、銭湯も閉まっている時間ゆえアパートの台所で頭を洗っていた日々を忘れてはいけない。寒さで頭が凍りそうになるので、部屋の中でヒンズースクワットをしダンベルを上げて体を温めてから気合一発!台所の蛇口に頭を持ってった事を。

シャンプーもほとんど泡立たない冷たさの中、それが日常であった私が社会人になって引っ越したアパートではバストイレ付きになり、蛇口を捻ると出たお湯に感動したあの原点を忘れていた自分が恥ずかしい。

人は贅沢に慣れてはいけないと思う。
飽食の時代、どこでもファーストフードに駆け込めば、とりあえず空腹は満たされる日本を当たり前と慣れてはいけない。こうしている間にも世界には餓死する子供たちが沢山いる。
温かい風呂など入れず、川で体を洗っている国もある。
美味しいコーヒーを飲める事など(今、コーヒーの香りを楽しみながらこのブログを書いている)本来は奇跡に近い事なのだ。

‘当たり前に深い感謝’。この忘れかけていた哲学を思い出させてくれる授業料としての26万だった。
そ、そ、そ、それにしてもメッサ高いやんけぇ~~~!!15~6万にならんか?

ありがとうございます、大切なものを気付かせてくれた壊れた給湯器。
ありがとうございます、そしてゴメンネ14年間働き続けてくれた給湯器。
ありがとうございます、給湯器だけで済んだ事。(釜までイカレたら百万超えるリフォームでっせ)

投稿者 : 浦上俊司| 17:17 | トラックバック

イキな計らい

浦上俊司

演台に立った時、ペットボトルの水がさり気なく置いてあるととても嬉しい気持ちになる。
さらに、おしぼりまで横にセットしてあると気の利いた主催者だと感心する(もっともこれは会場であるホテルが用意したものである場合もあるが)。

しかし先日は、事務局として入っていた営業の女の子がイキな計らいをしてくれたのだ。
ペットボトルの水とノド飴。
水まではよくあるがノド飴は初めてだ。私は彼女の細やかな気配りにいたく感心し、研修前のモチベーションがググッと上がっていくのを内側に感じた。

彼女は将来きっと営業マンとして大化けするだろう。相手が何を望んでいるか、相手は何をすれば喜ぶかを嗅覚でキャッチできる営業マンは個人指名の取れるプロになれる。
いや、職種に関係なく、普段から人の気付かない所に気を配り、先回りして爽やかなサプライズを演出できる人はきっと大成する。きっと幸せになる。
小さな気遣いが時として大きな感動を人に与えるのが人生の妙味だ。
人の心の琴線に触れるのは意外と身近な所に転がっている。

ありがとうございます、優しさと細やかさに触れる事が出来た先日の研修。
ありがとうございます、細かい気配り目配りで私を感心させた営業の彼女。
ありがとうございます、美味しさのあまり最後まで舐めずに途中でジャリジャリ噛んでしまうノド飴。

投稿者 : 浦上俊司| 17:10 | トラックバック

2005年11月08日

精神世界(あちら)と現実世界(こちら)

浦上俊司

順境の中に思索はない。逆境に立った時こそ人は人生について思索し、この世に生まれた意義や価値を見つけようともがき、自らの人生観や哲学を構築していくのだと思う。

私は幼い頃から精神世界が好きだった。
人は死んだらどうなるのか、死んだ後どこへ行くのか、自分には前の人生があったのか、なぜ自分はこんな容姿で生まれてきたのか、なぜ自分はこんな環境で生きていかねばならぬのか、なぜ自分は喘息で死にかけるほど辛い呼吸困難を繰り返すのか、などと幼き心での‘独り空想遊び’は、今から思えば立派な人生の思索だったとうなずける。

やがて大人になり、20代は全てが順風満帆で、私は精神世界の住人から一歩退き、超現実派の目の前の事にのみ価値を置く自由奔放な生き方に変わった。
この頃は、私ほど強運の持ち主はいないと信じていた。自分は選ばれし人間なのだと誠にオメデタイ錯覚が身体中に充満していた。

そして蒔き続けた悪しき種が、30代を目前にした頃から花を咲かせ始めた。
苦しかった、人生のあらゆる要素が。そして精神世界へと再び住民票を移した。

今、41歳の私は、その境界線に住んでいるような気がしている。
考えすぎて考えすぎて、それでも結論が出ず真理は掴み切れないのが精神世界の本質なのだろう。
私の3つの哲学(詳しくは前述の『生き方流、それぞれ』に譲る)は、住民票をあちらとこちらに移しつつ生きてきた中で、今の時点での結論だが人生のテーマはあまりにも複雑で多岐にわたるため思索は続く。生涯続くだろう。
金、権力、セックス、離婚、結婚、健康、愛、子供、ライフワーク、友、酒、・・・・・。全ての全てに神が与えたもう深いテーマがあるはずだから。
あちらとこちら、禁欲と煩悩、許容と怒りを共存させながら、その境界線で、ゆるやかに穏やかに囚われから開放されて生きていきたい。

ありがとうございます、まだまだ続く終わりのない‘自分探しの旅’
ありがとうございます、あちらこちらと住民票を移しつつ生きてこれた自分の半生。
ありがとうございます、過去は過ぎ去ったもの、未来は未だ来たらざるもの、そして今ここにいる自分は健康で五体満足で仕事がある現実。

投稿者 : 浦上俊司| 07:26 | トラックバック

2005年11月07日

不思議なゴミ袋

浦上俊司

アクセスが便利なので新宿に泊まる事が多い。
翌日、研修会場に向かう朝、区役所通りから駅へ向かう坂道には黒い影が溢れている。
餌を漁りに来た黒いカラスと朝まで仕事をしていた黒い服を着たホストだ。
グテングテンに酔っ払った朝8時ごろの女の姿は醜いものだ。それを金ヅルにしている男の姿も似たようなもんだが。彼らは将来、どんな人生を送るのだろう?他人事ながら心配してしまう。年収9桁をを越えているホストは、ごく一握りに過ぎないと思うのだが・・・。

ま、そんな事よりカラスだ。
ここ数日前から気になっていた黄色いゴミ袋。
毎朝、カラスが透明のゴミ袋を器用に突付き、中の残飯を啄ばむ姿が日常だった新宿の朝の光景に少し変化が起き始めているのが、この黄色いゴミ袋の成果だという。

聞いたところによると、カラスは‘黄色’を判別する力が極端に弱く、‘黄色のゴミ袋’をして‘黄色い単なる物体’と判断するとの事。つまり中に美味しい残飯が入っていると分からないらしい。(ちなみにカラスは嗅覚も非常に弱く、あくまでも視覚で餌を探すそうな)

そこでこの‘黄色のゴミ袋’の登場と相成ったわけだ。カラスには悪いが、やはり道路に散乱する生ゴミの不衛生さを考えると、‘黄色’によって集まってこさせない工夫が人間側にも必要だったのだろう。
最初は不思議な色をしたゴミ袋だと思っていたが、そんなカラスの生態を研究している人のお陰だったんだなぁ。研究によって世の為人の為に尽くしている人がいらっしゃるということだ。
確かにこの世は自然と人間が共生していかねばならぬ。しかし、気持ちよく共生するためにはカラスはカラスの生きていく空間を見つけて欲しい。

ありがとうございます、カラスの生態研究者。
ありがとうございます、黄色を見てゴミ袋を突付いて破らなくなったカラス。
ありがとうございます、様々な気付きをくれる朝まで眠らない街、新宿。

投稿者 : 浦上俊司| 22:50 | トラックバック

2005年11月05日

救世主であることは恋することと同じ・・・

私は映画が大好きです。
と言っても、なかなか映画館の上映時間に合わせて見に行くことが困難なので、最近ではDVDを購入して、仕事から戻って一人でじっくり観ることが好きです。
(最近は便利になりましたね。新作映画がすぐDVDとして登場しますし、また古い映画は格安で売っているので、ついつい買ってしまいます)

その映画の内容によって、
「借りて一回観ればそれで満足」という作品と
「何回でも観たいので購入して観る」作品
に分かれます。私は好きな映画は繰り返して何十回も観るので、かえって借りる手間とトータルでのレンタル料を考えたら、購入した方が安いんですね。
なので、DVDや以前に購入したビデオの本数を数えるとかなり膨大な量になります。

その中で特に好きな映画は「マトリックス」の3本作です。
私なりに思うのですが、この映画はその観た時期や置かれている状況などで感じ方が結構変わるんですね。確かにデビュー1作目は古さ感は否めないものの、なかなか大きな気付きを与えてくれます。

「人の信念は変えられないものよ」

「その後ろに書いてあるものを読んでみなさい。(ラテン語で)“我を知れ”と書いてある・・・」

「救世主であることは恋することと同じなの。それは自分にしか分からないことだから・・・」

などなど。うーむ・・・非常に奥が深いんですね。
そこから様々なものを感じます。
この一連の会話は主人公がヒーローとして目覚めるまでの会話を断片的に追っていますが
ここで語られていることは、
「すべては自分なんだよ」ということを言いたいのだと思います。
他人がどうのこうの言おうが、最後は自分が思い・考え決めること・・・それが一番大事なのですね。

(タカハシパートナーズコンサルティング 代表取締役 高橋 剛)

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